今月の言葉

2024年10月:同じ月を眺めている

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同じ月を眺めている

The moon may look different depending on where you are,but it shines down equally on us all.

夜空を見上げると、金色の輝きを放つ月が、私たちのことをいつも見守っています。幾千もの星の輝きを見ることが難しくなった現代であっても、月は変わることなく私たちを照らしてくれているのです。

古来、多くの日本人が煌々と輝く月を眺め、さまざまに表現してきました。「天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」という『百人一首』に収められているこの歌は、今から1300年前、遣唐使の阿倍仲麻呂が、かの地で詠んだ歌だと伝わります。「この広い空を仰ぎ見ると、故郷の大和国(奈良県)春日にある三笠山の上に浮かんでいた月と、今見ている月は同じなのだな」という想いが込められているそうです。

浄土宗を開かれた法然上人も月を取り上げて歌を詠まれました。「月かげのいたらぬさとはなけれどもながむる人の心にぞすむ」。浄土宗の宗歌「月かげ」です。この歌には、「どんなに遠く離れていてもどこにいようとも、月を眺める人にその光が等しく届くように、阿弥陀さまの慈悲の光も、すべての世界を照らし、お念仏をとなえる人を平等に救ってくださる」ということが示されています。阿倍仲麻呂も法然上人も、はるか昔のお方です。しかし、お二人が眺めていた月と私たちが眺める月は、時代も場所も異なりますが、同じ月に他ならないのです。

阿弥陀さまは、はるかな過去から、現在、そして計り知れない未来まで、あらゆる場所に生きる私たちのことを分隔だてなく照らしてくださります。しかし、月の輝きに気がつかずに通り過ぎてしまったら、いつまでも月を見ることができないように、阿弥陀さまの救いに気が付かずに日々を過ごしていたら、まことにもったいないことです。阿弥陀さまは、「わが名を呼べ」と仰せになりました。「南無阿弥陀仏」ととなえるだけで、必ず私たちを照らし、やさしくお導きくださるのです。

10月は各地の浄土宗寺院で十夜会が厳修されます。明治の俳人である正岡子規は「月影や 外は十夜の 人通り」という句を詠まれました。子規もまたお十夜の賑わいをご覧になりながら、月明かりと阿弥陀さまの慈悲の心を感じとっていたのでしょう。夜空に輝く「同じ月」を眺めながら、私たちもお念仏をおとなえしましょう。

(神奈川県横浜市 慶岸寺 林田徹順)