2021年10月:いつも立派でなくていい
「人間はみんな弱いけど 夢は必ずかなうんだ 瞳の奥に眠りかけた くじけない心」(『僕の右手』THE BLUE HEARTS/詞:甲本ヒロト)。これは、私の好きな曲の歌詞です。「人間はみんな弱い」というのは浄土教の人間観にぴったりと合致します。
お釈迦さまの在世から長い時間が経過し、教えは残っていても正しく修行する者やさとりを開く者がいない時代を末法といい、苦しみや悩みなどの煩悩を捨てきれない人々を凡夫といいます。浄土教では、自身が末法を生きる凡夫であり、その弱さを受け入れ、お念仏をとなえることで阿弥陀さまに救われる存在であると自覚することが大事であるといえましょう。宗祖・法然上人が「一枚起請文」でお示しになられた「智者のふるまいをせずして」とは、この凡夫の自覚を指します。
さて、今月の標題は、「いつも立派でなくていい」です。常に自らを戒めて、善い行いを心がけるのは、仏教徒として正しいあり方です。
しかし、立派ではない弱い自分を損なうほど鞭打つことや、自分で自分を否定してしまうことは禁物です。法然上人も大切なお浄土へまいる身を自分で育み、もてなしなさいと仰せです。弱い自分を認めることと同様にさまざまな悩みを持つ他者を認めることも大切です。
皆が弱い人間(凡夫)という視点で、自分と違う境遇の人や、それぞれの理由で悩みや苦しみを抱えている人を認め、自分を育みもてなすように、他者も育みもてなすことが大切です。法然上人が自身の著書に引用された『西方要決』には念仏者のふるまいについて、「自分と違う(境遇や信仰を持つ)人もただ深く敬いなさい」「危ないときに助け合う修行仲間を大切にしなさい」と説かれています。
ところで、私自身を顧みれば、近頃は葬儀や法事などで住職に代わり、導師を務めさせていただく機会が増えました。私なんぞでという申し訳なさから、精一杯やらねばという使命感で務めております。毎朝のお勤めでは、自分自身よくやっているか、自問自答の時間です。至らないこともあります、凡夫ですから。その分、たくさん南無阿弥陀仏を。そのように過ごしております。
(東京都港区 梅窓院 中島真紹)