2024年12月:見守られている幸せ
令和6年も残すところわずかとなりました。今年は元日に起きた能登半島地震に始まり、各地で台風、記録的豪雨による被害が相次ぎました。
9月には復旧半ばだった能登半島を豪雨が襲い、再び被災した女性が「神も仏もあるものか。心が折れた」と絶望を口にされていたのをテレビで目にしました。それでも無常の中、命ある限り前を向いて生きてゆかなければなりません。それは時に残酷で、全てから見放された思いを当然感じることだと思います。私たちも地震でなくとも、突然の事故や病気で大切な家族を亡くしたり、今まで築き上げてきた幸せを一瞬で失いかねないこの世の中です。
それでも、たった一人絶望に苦しむ人を、次こそは迷い苦しみのない西方極楽浄土という場所に救いたいと願い続ける阿弥陀仏という仏さまがいることをお伝えさせていただきます。
中国・唐代の高僧である善導大師は阿弥陀さまとお念仏をとなえる私たちの関係を、まさに親子のような関係から親縁と名付けられました。
「衆生、仏を礼すれば、仏これを見給う。衆生、仏を唱うれば、仏これを聞き給う。衆生、仏を念ずれば、仏も衆生を念じ給う」
この関係は一方通行ではありません。必ず声に応えてくださるのが阿弥陀さまです。過去・現在・未来と三世を通して、お浄土へ救いたいと手を差し伸べ続けてくださる仏さまです。私たちは過去世からの因縁でようやくお念仏をとなえる身となりましたが、ずっと昔から私たちを救いたいと願い仏になられ、お浄土を構えて「南無阿弥陀仏」ととなえることを待ち望んでいてくださいました。差し伸べられていた手をようやく握るようにお念仏をとなえたならば、また、その手を優しく握り返してくださる仏さまなのです。
阿弥陀さまの見守りとは、この世においても常に寄り添い、何があってもお浄土に救い取るぞ、と願われていることです。そして臨終の際は枕辺までお迎えに来て、お浄土にお連れくださるのです。お念仏をとなえる私から、この世、後の世と離れることのない仏さまであります。
来年も阿弥陀さまの見守りを近くに感じ、共にお念仏行に精進して参りましょう。
(静岡県静岡市 善然寺 野田幸華)