2021年06月:善きことはゆっくり動く
6月を迎え、今年も折り返しです。年賀状であれほど目にした「丑年」ということも、もう忘れてしまいそうです。いただいた年賀状の一枚に、「同じ水 牛が飲めば乳となり 蛇が飲めば毒となる」という言葉がありました。
現在、誰もが同じコロナ禍を生きています。蛇が毒を吐くように、ギスギスした感情を他人に向けてしまってはいませんか。このような状況だからこそ、牛が乳を作るように、人さまに対して〝善き種〟をまくような、善い生き方を意識したいものです。
善い生き方を考えたとき、私は自身の叔父のことを思い浮かべました。叔父は、普段は優しいのですが、怒ると怖い一面がありました。子どもの頃、母の実家に里帰りしたときのこと、私と妹が喧嘩を始めると叔父が飛んできて「なんばしよっとか! 兄妹は仲良くせんば」と怒られたものです。
あるとき、叔父と東京の大学でともに学び、空手部で過ごした近所のご住職から、法話の依頼を受けました。叔父が先輩、そのご住職が後輩という間柄です。そのご住職は一番後ろの席に座り、私の法話をまるで「いいぞ、その調子。がんばれ」と応援しているかのような優しい眼差しで聞いてくださりました。そして、お説教を終えると、控室で開口一番「あなたの叔父さん、先輩はお元気ですか」と声をかけてくださいました。そのとき、私は叔父のことを「先輩」と呼ぶご住職の一言に、親愛の情を感じました。叔父のことを、半世紀以上もの月日が経っても、「先輩」と呼ぶ一言の中に、二人の良き関係を感じさせていただきました。
叔父自身、半世紀を経ても、親愛の情を持って「先輩」と呼んでもらえるような言動や振る舞い、つまり〝善き種〟をまいていたのだと思います。その日、ご住職が私の話を応援のお気持ちのこもった優しい眼差しで聞いてくださったのは、その〝善き種〟のおかげである事を強く実感しました。
今日、私がまいた種が花咲くのは、明日か、来年か、はたまた半世紀後か、いつになるかは分かりません。しかし、「この〝善き種〟は、ゆっくりでも、いつかは必ず芽を出し、花咲き、明るい未来につながる」、そんな思いで、日々過ごしたいものです。
(兵庫県西宮市 観音寺 池上善哉)