2021年04月:そっと手を貸す 思いやり
幸せになりたければ、相手を思いやりなさい――お釈迦さまは幸せになる道をこのように説かれました。
相手の幸せを願い、思いやりを持ってかけた言葉や行動は、必ず自分自身の幸せとなって返ってきます。これを「自利利他(じりりた)」といい、利とは幸せという意味です。その一方で、自らの利のみを求める自己中心的な考えを、「我利我利(がりがり)」といいます。
「他人の幸せを思いやることで自らも幸せになって生きる」のか、それとも「自らの幸せのみを考えて生きる」のか。これはその人の生き方を、大きく変える分かれ道といえます。
今年は、東日本大震災から10年の節目になります。
「こころ」はだれにも見えないけれど「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど「思いやり」はだれにでも見える
その気持ちをカタチに
これは震災当時、テレビで意見広告として放送された、詩人・宮澤章二(みやざわしょうじ)の『行為の意味』の一節です。このフレーズと共に流れたそのCMは、ある高校生が混雑する電車内で妊婦に席を譲る女性の姿を見かけた後、自らも進んで階段を昇るお年寄りの手を引き、共に笑顔となる光景を描いていました。
はじめは妊婦を見かけた際に目を逸らしてしまった高校生でしたが、席を譲る女性の「こころづかい」と「思いやり」を目にしたことで、自ら進んでお年寄りに手を貸す″気持ち〟が〝カタチ〟へと変化し、共に生き、共に喜ぶ姿がそこにありました。まさに「相手を幸せにすることで(利他)、自分が幸せになれる(自利)」という自利利他の道といえます。
「迷惑になるのではないか」「老人扱いするなと言われるのではないか」とためらう人もいます。手を貸してあげたいという「思い」だけでは「思いやり」にはなりません。勇気を出してそっと手を貸すと、それだけで気持ちがカタチとなり、相手と通じ合うことができます。また、受け手がこころを開き、享受することも思いやりです。
お互いがこころを通わせ、手を貸し、手を受ける。自利利他の道を改めて胸に刻み、コロナ禍で社会的距離を取ってもなお、思いやりのある社会を目指し共に生きていきたいものです。
(広島市中区 廣教寺 上野充大)