2025年12月:我行精進 忍終不悔
高倉健さんの座右の銘としても知られる「我行精進 忍終不悔」。それは浄土宗が大切にする経典『仏説無量寿経』の中にある「假令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」という一節です。意訳すれば「たとえどんな困難に身を沈めても、悟りを求めて耐え忍び、修行に励んで決して悔いることはない」という、仏道を歩む者の揺るぎない覚悟を示すお言葉です。このお言葉を目にするたび、「私は日々、悔いのないように生きているだろうか?」と自問してしまいます。
数年前、一つの出来事が私自身の僧侶としてのあり方を問いました。いつもの月参りでお檀家さんのお家へ伺った時のことです。玄関を開けると、いつも出迎えてくださるはずの奥さまが倒れていたのです。すぐに救急車を呼び病院へ搬送されましたが、ついこの間まで元気な姿だった方が帰らぬ人となってしまいました。「私は毎月会うこの人に僧侶として何かできていたのかな?」と自問し「何もできていなかったのでは…」と後悔の念が生まれたのです。
この後悔をきっかけに、私はあることを始めました。月参りでお家から出る前に、お檀家さんと向かい合い、心を込めて十念することにしたのです。「このお念仏が、この方と交わす最後の十念になるかもしれない」と、心で念じながらとなえています。
今年メジャー殿堂入りを果たされたイチロー選手は引退時に「後悔なんてあろうはずがない」と言いました。生活全てを野球に捧げ、己を鍛え上げ全てをやり切った人だけが言える言葉でしょう。さまざまな偉業を成し遂げ「努力の天才」と称されたイチロー選手ですが、「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」という言葉も残されています。
私たち仏道を歩む者においても同じ普遍的な真理ではないでしょうか。どんな大きな「往生」という目標も、日々の地道なお念仏という一歩の先にしかありません。私たちにとって、法然上人が説かれたお念仏こそ、確かな「我行精進」と捉えることができるのではないでしょうか。常に後悔と背中合わせの私ですが、日々の十念を怠ることなく、お念仏とともに「一生懸命生き切った、悔いはない!」と往生させていただきたいと願うばかりです。
(兵庫県尼崎市 光明寺 柴田大船)