最新のポスター
令和6年度 – 教化ポスター
「いま極楽をもとむる人は、本願の念仏を行じて摂取の光明にてらされんとおもうべし。これにつけても念仏大切に候。よくよく申したもうべし」
意味:今、極楽往生を願う人たちは、本願に誓われたお念仏を称えて阿弥陀さまの救いの光明に照らしていただこうと思うべきです。だからこそお念仏は大切なのです。心をこめてお称えください。
浄土宗開宗850年のキャッチコピー「お念佛からはじまる幸せ」をテーマに、宗祖法然上人の御法語(仏法の要義を平易に説いた文章)の中からお念仏をとなえることの大切さを説かれたお言葉を引用しました。
法然上人が生きた平安時代末期から鎌倉時代初頭にかけて世の中な大乱が続き乱れていました。そのような状況の中で「南無阿弥陀仏ととなえれば、すべての者が救われる」というお念仏のみ教えにたどり着いた上人は、850年前の1175年に浄土宗を開宗しました。
明日の命もわからない、そんな不安にさいなまれながら毎日を生きる人々のために、法然上人はその生涯をかけて多くの人々にお念仏のみ教えを説かれました。そして、そのみ教えは850年の時を経た現代にも変わらず伝わっています。
このポスターに大きく描かれた円のシンボルは、月であり、太陽であり、阿弥陀さまの光明でもあります。また、法然上人が浄土宗を開宗してから積み重ねてきた850年という歴史や、想いを表現しています。
私たちは、毎日の暮らしの中でふとした時に悲しみや不安を感じることがあります。そんな時は心をこめて「南無阿弥陀仏」ととなえてみましょう。阿弥陀さまは空に輝く太陽のように、あるいは夜道を照らす月のように、わたしたちを見守ってくれています。一人じゃない、そう感じた時、不安は和らぎ、幸せへの道がきっと開かれます。
令和6年度 – 子どもポスター
みまもられてうれしいね
みなさんにとっての「しあわせ」とは何でしょうか。おいしいものを食べること。たのしい動画を見て笑うこと。大好きな人といっしょの時間を過ごすこと。人それぞれにいろんなしあわせがあると思います。だれだってつらい思いはしたくないし、悲しい気持ちにはなりたくない。それでも、うまくいかなくてとてもいやな気持になったり、大切な人と突然の別れを悲しんだり、避けようのないできごとがあふれていて、常にしあわせでいることはなかなか難しいです。
浄土宗では、お釈迦さまのみ教えの中で「お念仏」を大切にしています。お念仏は「なむあみだぶつ」と阿弥陀さまの名前をおとなえすることです。阿弥陀さまはその名前を呼ぶすべての人を分け隔てなくお救いくださり、つねに見守ってくださいます。つらいこと、かなしいことがあってもわたしたちは一人じゃない、だれかが見守ってくれている、そう感じさせることで、阿弥陀さまは、わたしたちの日々の生活に安心をもたらしでくれます。そして、その安心はわたしたちがしあわせに生きることをほんの少し、後押ししてくれるのです。
令和6年度 – その他
「浄土宗開宗850年慶讃ポスター」の第5弾。過去の第1弾から4弾に続き、メインビジュアルは世界で注目されている墨絵アーティスト・茂本ヒデキチ氏にご協力いただき、未来を見据える法然上人をイメージして描いていただきました。
令和6年、浄土宗は開宗から850年を迎えました、法然上人が見出した「“南無阿弥陀佛”ととなえればすべての人が救われる」というお念仏の教えは、これまでに数多くの人々の心を救い、現代まで伝えられてきました。そして、現代を生きる私たちや、未来を生きるすべての人も変わらずに導いてくれることでしょう。今回のポスターでは、すべての人の明日が幸せであることを願い、表現いたしました。
過去のポスター
令和5年度 – 教化ポスター
「いけらば念仏の功つもり、しなば浄土へまいりなん。とてもかくても、此の身には、思いわずろう事ぞなき」
意味:生きている間はお念仏を称えてその功徳が積もり、命尽きたならばお浄土へ参らせていただきます。いずれにしてもこの身にはあれこれと思い悩むことなどないのです。
今回は、「浄土立宗の御詞」に説かれる「凡入報土」説における5つの要素(衆生論、仏土論、実践論、経典論、即時別時)から「即時別時」の視点にもとづき、法然上人のご法語の中から「いけらば念仏」の御詞を引用しました。
このポスターでは、誰もが踏み出す一歩の等しさと、その一歩の大切さ、尊さを、無数の矢印でかたどられた大きな足跡をモチーフとして表現されています。一歩一歩を積み重ねる私たちの歩みに、日々、悩みや迷いは尽きませんが、念仏の生活を送り、阿弥陀さまにお見守りいただくことで、安心して毎日を歩むことが出来る、そんなメッセージを込めました。
令和4年度 – 教化ポスター
「答う。経には双巻・観無量寿・小阿弥陀経等、これを浄土の三部経となづく。」
意味:お答えします。経典であれば『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』で、これらを「浄土三部経」と名づけています。
今回は、「浄土立宗の御詞」に説かれる「凡入報土」説における5つの要素(衆生論、仏土論、実践論、経典論、即時別時)から経典論を選び、“何に依って”往生するのかという視点にもとづき、法然上人のご法語の中から「浄土三部経」に言及されたおことばを引用しました。
浄土宗のお念仏の教えは、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』という三つのお経をよりどころとしています。
このポスターでは、はるか昔から受け継がれてきたこの「浄土三部経」と法然上人のみ教えを、悠久の時を積み重ねてきたであろう大樹をモチーフとして表現しています。
あらゆるものがうつろいゆくこの世界の中においても、法然上人が示されたお念仏の教えは、これまでも、そしてこれからも変わらずに私たちを導いてくれます。
令和3年度 – 教化ポスター
「念仏のひとは十はすなわち十ながら生じ、百は百ながら生ずるこれなり」
意味:お念仏をとなえる人は、十人中十人すべてが往生し、百人中、百人すべてが往生します。
今回は、「浄土立宗の御詞」に説かれる「凡入報土」説における5つの要素(衆生論、仏土論、実践論、経典論、即時別時)から実践論を選び、“どうやって”往生するのかという視点にもとづき、法然上人のご法語の中から「念仏往生」を説いたおことばを引用しました。
誰もが自分を偽ることなく、お念仏をとなえるだけで平等に救われるという教えが、多様性を受け入れ、共に生きることの重要性が叫ばれる現代社会において、多くの人が安心して、前向きに生きていくための一助となることを願っています。令和2年度 – 教化ポスター
「阿弥陀仏と 申すばかりを 勤めにて 浄土の荘厳 見るぞうれしき」
意味:日々、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」とお念仏をとなえることだけで、極楽浄土の素晴らしい様相が観られるとは、なんとうれしいことよ。
今回は、「浄土立宗の御詞」に説かれる「凡入報土」説における5つの要素(衆生論、仏土論、実践論、経典論、即時別時)から仏土論を選び、“どこに”往生するのかという視点にもとづき、法然上人のお歌の中から、極楽浄土に対する憧れを詠んだ一首を選びました。
このポスターでは、「極楽浄土にいらっしゃるご先祖さまに会ってみたいと空を見上げる子どもたち」を表現しています。「いつかご先祖さまに会えますように」というキャッチコピーを提示し、「極楽浄土は、全ての人々を救いとるという阿弥陀さまの願いが成就した世界です。私たちが安らぎを得られるように、また先立たれた大切な人に再会できるように阿弥陀さまが導いてくださいます。いつかそこに行ける日を想いつつ、お念仏をおとなえしましょう」というメッセージを添えました。令和元年度 – 教化ポスター
「散れども名を称すれば、仏願力に乗じて、往生す」
今回は、「浄土立宗の御詞」に説かれる「凡入報土」説における5つの要素(衆生論、仏土論、実践論、経典論、即時別時)から衆生論を選び、“誰が”往生するのかという視点で制作いたしました。数あるご法語の中から、お念仏をとなえていてもつい色んなことを考えてしまい集中するのが困難であるという問いに対して、心が散り乱れたままでも、心から往生したいという想いでお念仏をとなえれば、阿弥陀さまの本願のお力によって往生できる、という法然上人の答えの一節を選びました。
このポスターでは、「桜の花びらのように散り乱れる私たちの心」を表現しています。
私たちは現代を生きるなかで煩悩に苛まれることがほとんどですが、「たとえ心乱れても、私は見守られている」というキャッチコピーを提示し、「生きていく上で悩み、迷い、心が散り乱れてしまうのは自然なことです。阿弥陀さまはどんなときでも私たちのことを見守っていてくださり、救いを求め、お念仏をとなえる人を見捨てることは決してありません」というメッセージを添えました。平成30年度 – 教化ポスター
「露の身は ここかしこにて 消えぬとも こころはおなじ 花のうてなぞ」
意味:露のようにはかない命の私たちが、こちらやあちらや、どこで亡くなってしまったとしても、心は同じ蓮台、きっとお浄土でお会いできることでしょう。
キャッチコピー:「また会える、その日まで。」法然上人が詠まれた和歌から、檀信徒の皆さまが理解しやすいものを選びました。お念仏をとなえ阿弥陀仏の慈悲にすがるものは、皆、極楽での再会が間違いなく、娑婆世界での距離など、取るに足らない、ということを詠んだものです。
言うまでもなく、ご縁のある方と別れることは、悲しく苦しいことですが、この和歌に法然上人が詠み込まれたように、お念仏の教えを信じ極楽浄土での再会を願うことで私たちもその悲しさや苦しさを乗り越えることができるのではないでしょうか。このポスターでは、「信心を持つことで得られる心の安らぎ」を表現しています。
イラストの水面の波紋は、「無常」である娑婆世界の象徴として描かれています。また、2匹のカエルは、自己と他者を表しています。先立たれた方と極楽浄土で再会する情景を牧歌的なイラストタッチで表現しました。平成29年度 – 教化ポスター
「生命(いのち)に感謝し、一日一日を生きる。」
人の生命には限りがあり、その終わりはいつ訪れてもおかしくありません。だからこそ、一日の終わりに、極楽浄土へ往生するためのお十念をとなえて眠りにつきましょう、と法然上人は説かれています。
限りある生命は「一日一日の積み重ね」です。この和歌は、一日一日を精一杯生きること、信じる道に対して真摯に励むことが大切だと教えてくれています。
イラストのローカル列車は人生の象徴として描かれています。歩みはけっして高速ではありませんが、ただ一筋の鉄路を進む姿に、「信じる道」を精一杯進む生き方を重ねています。また、その列車を見守るように輝く月は、阿弥陀如来を表しています。
人々は車窓から月を見上げ、今日という日を振り返っています。こうした情景から、一日の終わりに「生命」に感謝し、お念仏をとなえながら阿弥陀如来に心を預けることの大切さを表現しています。(文化局発行)
平成28年度 – 教化ポスター
「あなたも、わたしも、いたらぬ存在。」
池を泳ぐ2匹の小さな金魚は、「凡夫」の象徴として、自分と他者を表しています。 また、ビジュアル上部の蓮の花は、阿弥陀如来を表しています。蓮の花は金魚を温かく見守っているようであり、金魚も蓮の花を見つめているような構図とし、阿弥陀如来に心を預ける大切さを伝えています。全体として、やわらかく明るい印象のビジュアル、平易な文章を心がけました。たくさんの方が阿弥陀如来に心を預けることで気持ちが穏やかになり、救いのきっかけとなるポスターを目指しています。
(文化局発行)
平成28年度 – 教化ポスター
「私たちは迷いつづけるのだろうか」
このポスターは、だれもが持っている「迷い」を暗めの雑踏の写真を使用し、表現いたしました。あえて重厚感のある色調にすることで存在感を演出しています。また、デザインの重厚感や存在感から、文体についても、若干堅いものにしています。見る方に対して、「凡夫」の自覚を促し、お念仏をとなえることの大切さを伝えています。
(文化局発行)
平成27年度 – 教化ポスター
「まぁるい言葉で こころをまぁるく。」
角がとれてまるくなった石に笑顔を描き、このビジュアルに「和顔愛語」のメッセージを込めました。積み重なった石は、互いに触れ合いながら生きる人間同士を表現しています。石の上に雨のように降り注ぐのは、思いやりから生まれたやさしい言葉です。こうしたやさしい言葉によって人間のこころは角がとれてまるくなり、周囲にも笑顔が広がっていくことを、石のまるい形と表情で表現しました。「平和な世の中は、一人ひとりの“笑顔でやさしい言葉をかける”という行いからつくられる」というメッセージをシンプルであたたかみのある表現で、こどもから大人まで幅広い世代に伝えていただきたいと考えます。
(文化局発行)
平成26年度 – 教化ポスター
「月かげ」
宗歌「月かげ」を中央に配し、宗紋を”月”に見立て
周囲は阿弥陀さまの慈悲で黄金に輝き、”ながむる人”をウサギになぞらえデザインしました。
(文化局発行)平成24年度 – 教化ポスター
「たてにも、よこにも『いのち』はみんな つながりあっているんだね。」
私たちは、ご先祖さまからのいのちの連続という“縦のつながり”と、共に時を同じくして生きる人々や自然との“横のつながり”があってこそ、存在することができます。
ポスターは、親子が、縦と横に交わりさまざまな形をつくるあやとりで遊ぶ姿をモチーフにしました。あやとりの糸は、共に生かし、生かされる「いのち」のつながりを表しています。
年回法要などの折、このあやとりをたとえに、いのちのつながりを確認できる法会の大切さや意義をお話しされてはいかがでしょう。(文化局発行)
平成23年度 – 教化ポスター
「ありがとう」
私たちがここに存在しているのは、先祖からの“いのち”の連続のおかげです。そして、子どもは“いのち”そして未来への象徴ともいえるでしょう。
明るく元気な子どもがそこにいるだけで、私たちに元気や希望を与えてくれます。共に生きる喜び、過去からつながるすべての“いのち”の尊さに自然と感謝したくなります。(文化局発行)
平成22年度 – 教化ポスター
「思い通りという、道はない。」
自分の思い通りにならずに腹を立ててしまった経験は誰にでもあると思います。
しかし人生は思い通りにならないことばかりです。
現実を素直に受け止めること、それが浄土宗21世紀劈頭宣言の1つ「愚者の自覚を」を実践することでもあります。自分自身を冷静にみつめてください。「思い通り」という道はありません。(文化局発行)
平成21年度 – 教化ポスター
「家庭の光が照らすものすべて、ひと粒、ひと粒が愛情です。」
「家庭にみ仏の光を」。このテーマを“愛情”というキーワードで表現しました。
幼い頃、両親にお米にはひと粒ひと粒に仏さまが宿っているので、最後のひと粒まで感謝して食べなさいと言われた方も多いでしょう。
そのお米を母親は、一つ一つ愛情を込めて握り「おにぎり」を作ります。そして、子どもはその愛情を受け、次の代へと継いでいきます。
この愛情のくり返しが、智慧と慈悲を育む家庭を作るのです(文化局発行)
平成20年度 – 教化ポスター
「人間はいまもまだ、やさしいですか。」
「社会に慈しみを」。このテーマを“やさしさ”というキーワードで表現しました。社会へのやさしさ、他者へのやさしさ、それこそが人の幸福につながっていくことでしょう。ビジュアルはお地蔵さんと立てかけられた傘。それは誰かのちょっとした思いやりをイメージします。
コピーは「人間はいまもまだ、やさしいですか。」
やさしさというものは、そもそも人間の本能なのであることを信じてやみません。(文化局発行)
平成19年度 – 教化ポスター
「ひとつ空の下で」
メインビジュアルに相合傘で歩く子どもたちを使用。雨の中お互いが濡れないように肩を寄せ合い歩いていく。
その姿が、人と人が共生(ともいき)することの大切さを語ります。
子どもたちの前には、ずっと続く道。それはこれからの長い人生を象徴しています。コピーの「ひとつ空の下で」という文字は、すべての人間はひとつ屋根ならぬ、ひとつ空の下で共に生きている存在であることを表現しています。(文化局発行)
平成18年度 – 教化ポスター
「家族への想いは、消去できない。」
現代を象徴する電化製品、パソコンを使用したポスターです。
パソコンの画面を見ながら撮影した写真データを整理していると家族の写真を見つけます。ほとんどの写真データを削除していましたが、この写真だけは削除せずに残しておこうと「いいえ」のボタンを選択します。
キャッチコピーは、「家族への想いは消去できない」
さらに、家族を想う気持ちが根となって、社会や他国の人々を想いやる気持ちへと広がっていくことをリードコピーでおさえてみました。(文化局発行)
平成17年度 – 教化ポスター
今から30年ほど前「戦争を知らない子どもたち」という歌が流行しました。当時は、この歌のフレーズにあるように「戦争が終わって生まれた」人も大勢いましたが、それ以上に“戦前生まれ”の“戦争を体験された”人が多い時代でした。
現在は、「戦争って本当にあったの?本当に大勢の人が亡くなったの?」と話す若者さえいるように、“戦後生まれ”の“戦争が起こったことすら知らない”人が多くなってきました。
今年は第2次世界大戦が終って60年。あの出来事を風化させずに、そして強い反戦への決意をあらわし、すべての人が世界平和を願い、確かな一歩が踏み出せることをアピールするためにポスターを作成しました。(文化局発行)
平成16年度 – 教化ポスター
「浄土宗21世紀劈頭宣言」ポスター 「世界に共生(ともいき)を」
一般的に共生は「きょうせい」と読まれ、「共に所を同じくして生活する」という意味で使われる場合が多いようですが、浄土宗が用いる「共生」はその意味だけでなく、「先祖や子孫などとの縁という時間的なこと」も含めています。普段、私たちは横のつながり(人間関係)を重要視し、縦のつながり(上下関係ではなく、先祖や子孫の関係)をおろそかにしがちです。それは生活をする上で目に見える横のつながりに気を奪われているからではないでしょうか。
ポスターに写る子どもと犬は他者(異文化)との交流の難しさを表わしています。
しかし子どもを見つめる犬のまなざしは異なった考え方、主義・主張を持つ存在でも、心から語り合えばきっと理解しあえる、そして理解し合えばかけがえのない存在になることを表現しています。
またこの犬はこの子供にとって友達(横のつながり)であり、家族(縦のつながり)であることも表現し、「世界に共生を」のメッセージである仲間や祖先などの縁との関係性を具現化しました。
キャッチコピーも「話したい、これまでのこと、これからのこと」とし、心と心の交流によって誰もがわかりあえる、そのお役に立つのが浄土宗であり、法然上人の教えであることを表現しています。
ビジュアルはさまざまな色が氾濫する中であえて伝統的なモノトーンにしました。平成15年度 – 教化ポスター
「社会」ポスター
泥だらけのグランドに、空気の抜けたへこんだサッカーボールを置きました。これは落ち込んだときの人の心を表しています。そしてコピーを「へこんだ時ほど、やさしくありたい」といたしました。
人はだれでも落ち込んでしまう時があります。そしてそんな時ほど周囲への気配り、やさしさが失われてしまいます。「和顔愛語」という仏教語があります。どんな時でもやさしく人に接すること。これはとても難しいことかも知れません。しかし、ひとつの笑顔ややさしいことばを発することが、落ち込みから抜け出るきっかけにもなることはまちがいありません。またこれは、落ち込んだ人に対する他者の態度にも同じことがいえます。
今回のコピーは、落ち込んだ時の自分自身のありかた、そしてまた、落ち込んでいる人を見た時の他者のありかたのふたつを懸けたコピーとしています。(出版室)