今月の言葉

2022年5月:こころの声に耳を澄まそう

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こころの声に耳を澄まそう

Maybe you are pushing your limits. It's vital to know how them and take a breather now and then.

ある雨の日のことでした。立ち寄った小さな商店、簡単な傘立てが外にありました。その傘立てを利用しようとしたとき、ある不安が心をよぎったのです。「ここに傘を置いたら誰かに盗まれるのではないか」と。
しかし、ずぶ濡れのビニール傘です。商品ひしめく店内に持ち込むのは気が引けます。仕方なくその傘立てに置きましたが、よぎった不安はすぐには消えません。商品を探しながらも、店員さんと話しながらも、外の傘が気になって仕方がありません。気のせいか雨の強さも増してきたように感じます。「傘を欲しがっている人も増えているのではないか」と、そんな微々たることまで気にかかり、妄想が膨らんでいきました。たった十数分のことでしたが、「嫌な予感」は募るばかりです。
会計を済ませ、急ぐ程もない店内を小走りし、外に出て傘立てを見ると、ビニール傘は私の置いた場所にありました。ほっとしながらも、ひとりで勝手に不安になり、安堵している自分の状況に気づきました。
もとより「傘泥棒」は私の想像の産物でした。もちろん注意を払うことは大切ですが、それによって「あの人は私のものを奪うかもしれない」「あの人は私に害を与えるかもしれない」と自ら不安の種を撒いていたのです。
日々の小さな事柄から重大な問題まで、仏教では私たちの心身を悩まし苦しめている根本的原因は等しく「煩悩」であると説きます。煩悩と一口に言っても種々ありますが、その止めどない自らの煩悩を静めて、苦しみ続ける状態から抜け出した方が「仏さま」です。反対にそのような境地から程遠く、悩み苦しみの尽きない私たちを「凡夫」と言います。
「こころの声」はとっさに出てくる「素直な気持ち」です。凡夫である私たちの「こころの声」では誤った判断や無意識に自己中心的な考えが反映されて、かえって苦しみの種になっているかもしれません。ですから、こころの声には「直感的に従う」のではなく、「耳を澄ます」ことが大切なのです。
 自分にしか聞き得ない声です。なぜ自分のこころはそのように声をあげるのか。一度落ち着いてその声に耳を澄ませてみませんか。思わぬところに気づきがあるかもしれません。

(奈良市興善寺 森田康仁)