今月の言葉

2024年2月:日々の合掌 心の手当て

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日々の合掌 心の手当て

Thinking of those who have passed and putting your hands together each day can bring you peace of mind.

 ある新聞の記事で、「あなたは今、幸せですか?」という質問に対して「はい」と答える方の割合は50代前半が最も低く、年齢が上がるほど高くなる傾向にあるという、アンケート結果を目にしました。90歳を超えるとその割合が急激に増え、90歳以上の8割の方が「今、幸せです」と答えていました。
 その理由を見ると、身体的な機能は低下しても今できることや周りの人への感謝、老いた自身をありのまま受け入れる心の余裕から幸福感が増すという内容でした。現在、50代前半の私は、この記事を読み、将来がとても楽しみになったと同時に、法然上人が常におっしゃられていた、あるお言葉を思い出しました。
「生けらば念仏の功つもり、死なば浄土へ参りなん。とてもかくても、此の身には、思いわずろう事ぞなきと思いぬれば、死生ともにわずらいなし」。これは、生きている間は、日々お念仏をとなえ、阿弥陀仏に全てをお任せすることで、いつ命が尽きても、阿弥陀仏の救いによって極楽浄土へ必ず往生でき、この世の悩みや苦しいことも思いわずらうことなく、死を迎えることすら穏やかに受け入れられる、とのお示しです。上人は43歳で浄土宗を開宗し80歳で往生されるまで、波乱万丈の日々の中でも、この御心で毎日六万遍のお念仏をとなえ、思いわずらうことなく力強くこの世を生き抜かれたことがお言葉から伝わります。
 上人のように日々六万遍もお念仏をとなえることは私には出来ませんが、コロナ禍となった4年前からそれまでは日課としていた朝の勤行を、夕方にも行うようになり、現在まで続いています。となえるお念仏は朝夕合わせて、上人の百分の一の六百遍程度でしょうか。それでも自分ではよく続いていると思うところですが、正直にいうと日々お念仏をとなえながらも、心の中はいつも思いわずらうことばかりです。
 この先、日々念仏をとなえ続けることで、上人がお示しの通りの「死生ともにわずらいなし」の境地に至るのか、その前に命尽きるのか、はたまた90歳を迎え幸せを感じる毎日を迎えるのかは分かりませんが、極楽浄土へ往生することが間違いないお念仏の教えに出会えたことに幸せを感じ、ただ一向に「南無阿弥陀仏」をとなえる日々です。
(青森県青森市 正覺寺 楠美知剛)