2022年9月:充分と思い 日々暮らす
「今何か欲しいものはある?」7歳の誕生日が間近に迫った姪に尋ねると「何もいらないよ」と、思いがけない言葉が返ってきました。欲というものがないのだろうかと、驚いたのと同時に、自分が同じ年ごろにはあれやこれやとほしいものだらけであったなぁと、恥ずかしい記憶が思い出されました。
仏教には、少欲知足という教えがあります。欲望はできるだけ少なくし、今あるものに満足し感謝しましょうという教えです。しかしながら、生きていれば欲しいものはたくさんでてきます。お金や地位、名誉、若さなど、細かい願望まで数えればキリがありません。しかもそれら全てを手に入れることなどできるわけがないのです。
これを心得ていないと今度は手に入れられないことに対して怒りや妬みといった心を生じさせ、最終的には自分自身の心を苦しませることになります。お釈迦さまはこのようなことに心を悩ますのであれば、今あるものに満足し感謝して生きるほうがずっと心は健康的だとお示しくださいました。
『世界がもし100人の村だったら』という本があります。この本には世界の約63億人もの人々をもし仮に、100人の村に縮めたら、そこに住む人々は一体どのような生活状況に置かれるかが書かれています。
「100人のうち75人は食べ物の蓄えがあり、雨風をしのぐところがあります。でもあとの25人はそうではありません」、「100人のうち20人は栄養が充分ではなく、そのうち1人は死にそうです」、「もしもあなたが空爆や襲撃、地雷による殺戮や武装集団からの暴行におびえていなければそうでない20人より恵まれています」
ここに書かれていることを目にしても、現在の日本で生きる私たちには、なかなか実感は湧きにくいものですが、まずそのような事実を知り、考えることが大事なのです。そうすれば、朝、目が覚め、仕事や学校に行き、1日を不自由なく過ごし、夜になれば眠りに就く。こういった「あたりまえ」だと思っている生活は、実は私たちが思っている以上に有難いことだと気付くのではないでしょうか。普段何気なく過ごしている日常に感謝の気持ちをもって生活したいものです。
(宮城県仙台市 充国寺 三浦宏純)