浄土宗新聞

また会う日を楽しみに 秋彼岸

投稿日時
大本山増上寺別院の弘経寺(茨城県常総市)の彼岸花。秋彼岸のころには多くの人が訪れるという(写真提供・弘経寺)

暑すぎた夏もだんだんと終わりを迎える9月。真っ赤な彼岸花が咲き誇り、私たちに「お彼岸」の到来を知らせてくれます。秋のお彼岸は、秋分の日を中日とした一週間(今年は9月19日から25日) に行われます。国民の祝日に関する法律によれば、秋分の日は「先祖を敬い、亡くなった人々を偲ぶ」ことが趣旨とされています。

「さとりの世界」を表す「彼岸」ですが、浄土宗においては、阿弥陀さまのいらっしゃる西方極楽浄土を喩えた言葉としても用いられます。お彼岸は、私たちの住む迷いの世(此岸) から、亡くなった大切な方々がいらっしゃる極楽浄土へと、思いを向ける期間とされています。

浄土宗が拠り所とする経典の一つで、極楽浄土の様相が説かれている『阿弥陀経』には、「俱 会一処(俱に一つの処で会う)」という言葉があります。これは、「来世、極楽浄土に生まれることで、亡くなった方々と再び会うことができる」という意味。この「俱会一処」のように、今を生きる私たちがお念仏をおとなえし、亡くなった方々との再会を願うことが、お彼岸という仏教行事の大切な意味といえます。

さて、秋のお彼岸の代名詞である彼岸花は、季語としても用いられ、さまざまな和歌に詠まれています。

彼岸花
咲ける間の道をゆく
行き極まれば
母に会ふらし

(彼岸花が咲いている道の終着地に着いたならば、母に会えるに違いありません)

これは、上皇后美智子さまが彼岸花をご覧になり、亡きお母さまの面影を偲んで詠まれた和歌とされます。彼岸花の花言葉の一つには「悲しい思い出」というものがあります。上皇后さまご自身、彼岸花を通じて、お母さまとの別れを思い出されたのかもしれません。この和歌からは、悲しい思い出を抱えながらも、生き抜いた先に、亡くなった方々が待っていてくれるという願いも連想させられます。

一方で彼岸花には、「また会う日を楽しみに」という花言葉もあるとされます。お彼岸の際には、亡くなった方々に思いを向けるとともに、自分の人生を全うしたその先に、「よくがんばったね」と先立たれた方々が待っていてくださることを願ってお念仏をおとなえいたしましょう。