浄土宗新聞

十日十夜の善行を修める お十夜

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十夜法要の期間、本山光明寺の参道は多くの参詣者でにぎわう(写真提供:大本山光明寺)
十夜法要の期間、本山光明寺の参道は多くの参詣者でにぎわう(写真提供:大本山光明寺)

10月から11月にかけ、各地の浄土宗寺院では「十夜法要」が営まれます。「お十夜」とも呼ばれますが、正式には「十日十夜法要」と言い、文字通り、十日間、昼夜にわたってお念仏をとなえ続けるもの。現在では、多くのお寺で日数を短縮して勤められており、特に浄土宗における十夜発祥の地である大本山光明寺(神奈川県鎌倉市)の十夜法要は、関東三大十夜の一つに数えられ、期間中には参道に多くの露店が立ち並ぶなど、盛大に勤められています。

その由来は、浄土宗の拠り所とする『無量寿経』の「煩悩や誘惑の絶えない娑婆世界で十日十夜の間、善行を積むことは、仏さまの世界で千年にわたって善行を修めるよりもすぐれている」との一説に基づいています。

これは、煩悩の存在する世界で日々を送る私たちだからこそ、善行をすることがさらに有り難いということです。浄土宗では、お念仏をおとなえすることこそ、自身が往生するための最大の善行とされるため、十夜法要では参列者が声を合わせてお念仏をおとなえします。

十夜法要の露店には秋の味覚、柿が並ぶことがあります。とくにこれは「十夜柿」と呼ばれたりしますが、何とも風情のある命名です。

渋柿を
見上げて通る
十夜かな

(詠み人知らず)

この句は、十夜法要に向かう途中で見上げた柿の木に実る渋柿を詠んだものですが、「自分という人間は、甘柿か、渋柿か」を考えることで、より一層深みのある意味を味わうことができます。

甘柿は初めから甘いため、多くの人に好まれますが、渋柿はそのままでは渋く食べられない存在。しかし、太陽の光に照らされるうちに味が甘く変化します。意外ですが、糖分は甘柿より渋柿の方が多いとされ、渋い成分に邪魔されて甘味が隠れてしまう渋柿も、光によって本来持つ甘味だけが引き出されるのです。

これを人間に置き換えると、私たちも苦しみや愚かさといった〝渋み〟を抱えている存在ですが、他者の助けや阿弥陀さまの慈悲の光に照らされることで、内に秘めた本来の良さが引き出されるのではないでしょうか。

自分の姿を振り返る機会はなかなかないかもしれません。十夜法要では、自他の往生を願ってお念仏をおとなえするとともに、自身の姿を振り返りながら浄い心を育てるきっかけにしてみてください。