法然上人に想いを寄せ 総本山、大本山で御忌大会
桜が見ごろを迎えた4月。総本山知恩院(京都市東山区)をはじめ、大本山の増上寺(東京都港区)・金戒光明寺(京都市左京区)・百萬遍知恩寺(同)・清浄華院(京都市上京区)・善光寺大本願(長野市)では、春の陽光の中、法然上人の忌日法要である「御忌大会」の荘厳な法要が相次いで執り行われた。

「御忌」とは本来、天皇などの忌日法要に用いられる呼称であるが、大永4年(1524)、後柏原天皇が「京都周辺の僧侶を集めて法然上人の御忌法要を7日間勤めよ」と詔書を知恩院に下賜されたことをきっかけに、法然上人の忌日法要が「御忌」という名称で定着していった。当初は、命日である1月25日ごろに勤められていたが、明治時代以降4月にも行うようになった。
本年は知恩院で18日から25日、増上寺では2日から7日、金戒光明寺では22日から25日、百萬遍知恩寺では22日から25日、清浄華院では20日から23日、善光寺大本願では11日に営まれた。
この中、善光寺大本願(川名観惠台下)では、9日新たに就任された川名台下を導師に同寺本誓殿で開白法要を厳修。続いて川名台下から任命された唱導師(法要で儀式を主導する僧侶)や稚児たちによる練行列が行われ、善光寺にほど近い西方寺(長野市西町)から約400メートル離れた本誓殿まで厳かに練り歩いた。
唱導師は、本誓殿前で道場を清める「庭儀式」を営み、入堂。日中法要では、法然上人への報恩の志を述べた「諷誦文」を唱えた。
堂内には多くの僧侶が集い、念仏の声が響き渡った。また、境内には国内外からの観光客など多くの参詣者が訪れ、厳かな法要の様子を静かに見入っていた。
また、知恩院(伊藤唯眞門跡)では、伊藤門跡を導師に営まれた開白法要を皮切りに、8日間にわたり御忌大会が営まれた。逮夜法要では、後柏原天皇から詔書とともに笏(木製の細い板状の道具)を贈られたことにちなみ、笏で拍子をとりながら念仏をとなえる「笏念仏」が行われるなど、古式ゆかしい法要が連日営まれた。
増上寺(小澤憲珠台下)で行われた日中法要の庭儀式には、連日、檀信徒のみならず、海外からの観光客なども足を止めてその荘厳な様子を見入っていた。
※大本山善導寺と大本山光明寺では、法然上人のご命日である1月25日に御忌法要を勤めました。
