極楽浄土に思いを寄せて 秋彼岸
9月の祝日「秋分の日」は、太陽が真西に沈む日。
秋分の日の由来は、明治時代に始まった宮中祭祀「秋季皇霊祭」にあります。この日には、歴代天皇や皇族の霊をまつる祭儀を行っており、国民もこれに倣ってご祖先さまを供養する日となりました。その後、1948年に施行された「祝日法(国民の祝日に関する法律)」により、新たに「秋分の日」と制定され、その趣旨が「祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ」と定められました。
この秋分の日を中日とした7日間(今年は9月20日〜26日)を「秋彼岸」と呼ぶ風習は平安初期から始まったと考えられています。
「彼岸」とは、私たちの生きている迷いの世界「此岸」に対するさとりの世界を意味する言葉です。また、浄土宗では、「西方極楽浄土」を喩えた言葉として用いられます。
経典には、西の彼方に、阿弥陀如来のいらっしゃる極楽浄土があると説かれ、そこは苦しみがなく、楽があふれた理想的な世界と伝えられています。
太陽が真西に沈むお彼岸の時期は、亡くなった方々がいらっしゃる極楽浄土に思いを馳せるのに最適な期間とされています。「秋彼岸」では、全国各地でお墓参りや仏壇の清掃、花や供物が手向けられ、供物として「おはぎ」を作る風習があります。
お萩くばる 彼岸の使 行き逢ひぬ(正岡子規)
この句、一見すると「おはぎを配っている人に出会った」というだけに思えます。しかし、子規はおはぎを配る人を「彼岸の使」と表現しました。亡き人への供物「おはぎ」を分け与える姿が、亡くなった方からの恵みを届けている使者のように見えたのでしょう。彼岸の時期のおはぎが亡き人からのおすそわけに思える、そんな温かさがこの句から感じられます。
忙しい日々の中では、亡くなった方々を静かに思う時間がとれないこともあります。ぜひ、秋彼岸の7日間は、秋分の日の「祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ」という趣旨も心に置き、お仏壇やお墓に手を合わせ、「南無阿弥陀仏」とおとなえください。その姿を、仏さまや亡くなった方々は見守ってくださるはずです。