大本山ご法主台下 新年ご法話
浄土宗には由緒沿革により全国に七つの大本山があります。その住職を法主(ほっす)といい、「ご法主台下(だいか)」とお呼びしています。新年にあたり、各大本山のご法主台下から読者の皆さまに一口法話を頂戴いたしました。
大本山 増上寺法主 小澤憲珠台下
元祖さまのご遺訓『一枚起請文』に「ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず」とあります。阿弥陀さまのご本願に順じたお念仏であれば、ご遺訓に示された通り、別の仔細はありません。私たちはその裏に何か奥深いことが隠されているのではと勘繰りたくなります。また人前で知識をひけらかすこともありがちです。この傾向は元祖さまの時代にもあったようで、私たちも自戒をせねばと思います。

大本山 金戒光明寺法主 藤本淨彦台下
今、私どもは法然上人のお念仏の脈打つ浄土宗開宗852年の新春を迎えました。時代人心に着床し続けるゆえに「念仏の功積もる」教えが随所に種まかれ、育てられていることを忘れてはなりません。「長い歴史によって醸成された一つ一つの積み重ねが自然に注がれて在る自己」を忘れるならば、つまり、文化力を失うと、浅く慌ただしく流れる損得に翻弄され、浮草のように漂う現実にしか目が注がれない価値観(生き方)が跋扈する人間社会に陥りそうです。

大本山 百萬遍知恩寺法主 福𠩤隆善台下
昨年は異常気象の年でした。春と秋が短く、気温が40度をこえたところが30カ所あったといい、今後、酷暑激暑というべき日が常態化する心配がなされています。線状降水帯の発生による水害、農作物や海産物の被害等の危機的状況となり、その上、米騒動や熊の出没で、日常生活がおびやかされていました。地球温暖化で私たちの生活を反省することが求められています。一人ひとりの責任として、自然を大切にする行動をおこす必要を感じます。

大本山 清浄華院法主 飯田実雄台下
昨年6月、サンパウロ日伯寺での開教70周年法要導師とクリチバ日伯寺本堂落慶法要陪席のためブラジルへ行ってきました。お集まりの信者の皆さまも若い人はすでに7世になっていますのでポルトガル語が母語です。2カ寺での私の日本語の挨拶はほとんど理解できなかったはずです。しかしお念仏をおとなえした時は、堂内に200人余の大きなナムアミダブの声が響きわたりました。開教使たちの努力により法然上人の教えが遠くブラジルで根付いている事を実感しました。

大本山 善導寺法主 日下部匡信台下
法然上人の、「お念仏が継続できるように努めて心がけなさい」の教えに従い、「今が大事」「思い立ったが吉日」を実践したいものです。人生いいときもあれば悪いときもあります。順調なときに喜ばず、不景気なときだけ騒いでも格好がつきません。昔は良かったという思いや、未来への憧れは簡単です。「時は今」と今を大切にしましょう。良いときに走りすぎないこと、悪いときに焦りすぎないこと、自分の歩幅を過たないこと、が肝心なのだそうです。

大本山 光明寺法主 柴田哲彦台下
ある寺院の掲示板で「仏前に花一輪の心掛け」なる一句を目にいたしました。美しい花は嬉しい時も、又悲しい時も人の心に寄り添ってくれるものであります。寺の子供会や幼児保育の場でよく歌われる「仏の子供」の一節に「うれしい時も悲しい時も み親(仏さま)の袖にすがりなん」という詞があります。たしかに人の世はうれしい時、又悲しい時が混在しております。如何なる時も如来の慈悲を心に止め、又野に咲く一輪の花で心を清め、日々念仏に励みたいものであります。

大本山 善光寺大本願法主 川名観惠台下
除夜の鐘を撞いて新年を迎えます。心を込めて鐘に当てますと、良い音が響き余韻も残り自然に手を合わせ幸せを感じる時であり、この「今」が大事であると思います。
「日々是好日」という言葉があります。自分の心の在り方を見つめ直し、「今」をひたむきに生きることで毎日を新鮮な気持ちで過ごせることが好日であるという意味です。この言葉は茶道でも床の間に掛けますが、「今」というこの瞬間を今年も精一杯大切にしていきたいものです。
