浄土宗新聞

127年ぶりの再会 ともに喜ぶ 地蔵菩薩立像 帰還慶讃法要を厳修 大本山百萬遍知恩寺

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地蔵菩薩像の開眼をされる福𠩤台下。その後に奉納されたご詠歌「御佛の めぐみのはやき なぞらへに 高まの水の 落ちるすがたを」は、霊元天皇(1654 – 1732)が詠んだもので、水落地蔵の利益はまるで高いところから水が落ちるようにすぐさま授かる、との意味とされる

 1月12日、大本山百萬遍知恩寺(福𠩤隆 台下=京都市左京区)が、「勢観忌ならびに水落地蔵菩薩立像御帰還慶讃法要」を営んだ。
 これは知恩寺の元塔頭寺院(大寺院の境内にある寺院)の西光寺(単立・愛知県津島市)に祀られていた地蔵菩薩像が127年ぶりに戻ったことを記念したもので、毎年営んでいる同寺第二世で法然上人の弟子・源智上人の忌日法要にあわせて勤めた。
 この地蔵菩薩像は、ヒバを用いた寄木造りで、高さは159・6㌢。鎌倉時代初期の慶派仏師の作とされ、像内から造立にあたり結縁した900名近くが署名と共に一行ずつ写した写経(一行一筆結縁経)が見つかるなど、文化的価値の高さから、国の重要文化財に指定されている。近年の調査で、同経に法然上人の僧名「源空」の署名が確認され、注目を集めていた。
 もとは知恩寺近隣に所在した水落寺に祀られ、水落地蔵と呼ばれたが、室町時代の応仁の乱で同寺が焼失した際、同じく焼失した当時知恩寺塔頭であった西光寺の所蔵となった。江戸時代には、知恩寺に祀られていたが、明治期に西光寺と共に愛知に移った。令和5年に後継者不在の西光寺から「縁のある知恩寺に地蔵菩薩像を託したい」との申し出があったことから、協議を重ね、昨年12月に請来が実現した。
 福𠩤台下を導師に御影堂で勤めた法要には、総本山知恩院の伊藤唯眞猊下、大本山金戒光明寺の藤本淨彦台下、大本山清浄華院の飯田実雄台下、川中光敎宗務総長など約140名が参列。冒頭で福𠩤台下が地蔵菩薩像を開眼(仏像などにみ心を宿らせること)。その後、京都にある地蔵菩薩の霊験をまとめた江戸時代の文献から、近年発見された同像の利益を歌ったご詠歌が、法要にあわせて作られた曲を付して奉納された。
 法要後のご垂示で福𠩤台下は、地蔵菩薩像の帰還に尽力した関係者に謝辞を述べるとともに、結縁経について触れ、関連する写経が今後も発見されるのではないかと期待を語られた。また伊藤猊下は祝辞で、地蔵菩薩像や像内品が当時の人々の信仰を現代に伝える貴重なものだとされたうえで、「法然上人の信仰を伝える品が戦乱を乗り越えて百萬遍知恩寺に戻られたことは大きなよろこび」と述べられた。
 地蔵菩薩像は16日まで安置された後に京都国立博物館に寄託された。2年ほどかけて調査などが行われた後、再び同寺に祀られるという。