浄土宗新聞

連載 仏教と動物  第20回 蛇にまつわるお話

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お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教典籍(仏典)には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。この連載では『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
第20回目は、多くの人々に恐れられる動物「蛇」を取りあげます。

蛇の脱皮のたとえ

 蛇は爬虫類ヘビ亜目の動物の総称で、体は細長いロープのようで鱗に覆われ、四肢と耳がほとんど退化しているのが特徴です。体をくねらせて前進し、蛙や鼠、小鳥などを餌として捕食します。
 南極大陸・極地を除く全大陸に分布していて、特に熱帯や亜熱帯に多く生息しています。
 仏教では、「蛇の脱皮」のたとえという形で、古いお経に次のとおりよく登場します。
 「この世に還り来る縁となる煩悩から生ずるものをいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨てる。―蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである」『ブッダのことば』(中村元訳・岩波文庫)
 今回は、お経に説かれている蛇にまつわるお話です。

毒ヘビの教え

 昔、インドにバーラーナシーという国がありました。その国に黄金をこよなく愛する一人の男がいました。仕事があればどこへでも出かけていき、毎日せっせと働きました。男はそうして働いて得た収入で黄金を買っては、かめに収めていました。やがてかめが黄金で一杯になると、庭に穴を掘ってそれを地中に埋めておきました。男はかめに黄金を満たすことだけを楽しみにして昼夜を問わず働き、ついにそのかめも七つになりました。
 ところが長年の無理がたたって男は病気になり、あえなく死んでしまいました。黄金に執着し続けていた男は死ぬとすぐに毒ヘビに生まれ変わり、かつて埋めたかめに巻きついたのでした。
 やがて住む人もいなくなったその家は、すっかり朽ち果てて崩れ去ってしまいました。黄金のかめに取りついていたヘビも間もなく死んでしまいましたが、何度生まれ変わってもヘビとしてしか生まれ変わることができませんでした。
 こうして永い年月が流れ、ようやく毒ヘビは、自分がヘビの姿から抜け出すことができないのは黄金に執着しすぎるからだということを悟り、黄金を修行者に施そうと考えました。
 毒ヘビは道端の草むらに身を隠して通りがかりの人を待つと、しばらくして一人の男が通りかかったので、男に声をかけました。
 「話があるのでこっちまできてくれないか」
 「お前さんは見たところ毒ヘビだな。私をおびき寄せて襲うつもりだな」
 するとヘビは荒々しく言いました。
 「私がもしその気なら、こっちに来なくてもかみ殺すぐらいわけないことだ。さあ、言うとおりにするのだ」
 逆らえばただではすまないという気配に、男は少しずつヘビに近づき、すぐそばまで来ると、ヘビは言葉を続けました。
 「ここには黄金を収めたかめが埋めてある。それを私に代わって修行者に施してもらいたいのだ。嫌ならそれなりの覚悟をしてもらわねばならん」
 男は命を奪われてはかなわないのでヘビの言うとおりにすることを約束しました。そこでヘビは男にかめを掘り出させ、言いました。
 「この黄金で修行者たちに供養をしてもらいたい。そしてその当日、かごを持ってきて私をその場所まで運んでほしいのだ」
 男は早速近くの修行場を訪ね願い出ました。申し出は修行者たちに受け入れられ、やがて供養の日になりました。男が約束どおりかごを持ってヘビの住処に行くと、ヘビはたいそう喜んでかごの中に入り、男はかごを抱えて修行場に向かいました。
 その道中、男は通りすがりの人が男をねぎらって挨拶してきたのにも関わらず、素知らぬ顔をして通り過ぎてしまいました。
 ヘビは男の無作法に腹を立ててかみついてやろうかと考えましたが、心を静めてかごから這い出し、見知らぬ人であろうと身分の低い者であろうと等しく慈悲の心を持って接しなければならないことを男に説き聴かせ、先程の驕った態度を戒めました。諭された男は自分の行いを恥じ、二度とこのようなことはしないと誓いました。
 やがて修行場につき、食事が始められました。ヘビは敬いの心を持ってそれを眺めていました。
 食事が終わってから、修行者たちはヘビのために法を説きました。ヘビはそのありがたさに感激して修行者の一人をかめの埋めてある場所へと案内し、残りの黄金をすべて施しました。
 こうしてヘビは、修行者に施しをした功徳で死後は天界に生まれ変わることができたといいます。

執着を戒める

 お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。
 このお話は、お釈迦さまがインドの祇園精舎に滞在している時に、弟子の阿難に対して語られたものです。
 お話に登場するヘビを抱えた男はお釈迦さま、毒ヘビは弟子の舎利弗の前世の姿です。
 阿難がお釈迦さまに、お釈迦さまの謙虚なわけを尋ねると、お釈迦さまは前世で毒ヘビから驕った態度を戒められた話をしました。
 物に執着することを戒め、布施の心と謙虚であることの大切さを表しています。


仏教を守護する蛇の神 那伽(ナーガ)

カンボジア・ベンメリア遺跡のナーガ像 dejiys / PIXTA

 今回のお話をはじめ、世界中の宗教で悪い存在として描かれることの多い蛇ですが、実は仏教を守護する「那伽(ナーガ)」という蛇の神がいます。
 もともとはインド神話に登場するコブラをモチーフにした神でしたが、仏教に取り入れられ、お釈迦さまがさとりをひらくときにそれを守ったとの逸話が経典に書かれるほか、仏教を守護する四天王の一人である広目天の眷属とされることもあります。
 古い経典では、インドコブラを思わせる容姿で描かれますが、地域によっては一般的な蛇の姿や、写真のように複数の頭を持つ姿で描写されることもあります。
 コブラの存在しない中国にお経が伝わると、「龍」「龍王」と訳され、中国における龍信仰と結びつき、日本でも同様に描かれています。
 天気を制御する力を持ち、怒ると干ばつに、なだめられると雨を降らすといわれています。