浄土宗新聞

連載 仏教と動物  第23回 虎にまつわるお話

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お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教典籍(仏典)には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。この連載では『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
第23回目は、勇猛で頼もしいイメージを持つ動物「虎」を取りあげます。

時の権力者の貢物


虎はネコ科の哺乳類で、体長約2㍍から大きなもので3㍍以上に達します。体の上面および側面は黄褐色で黒い縦縞があり、尾は長く黒い縞が並びます。

アジアの特産種で、シベリア南部からインド、ジャワにかけて分布し、主に密林に単独、またはつがいで暮らしています。現在、どの地域でも生息数が激減し絶滅が危惧されている動物です。このように虎はアジアに広く分布する動物ですが、もともと日本には生息していません。

虎が日本で初めて記録されるのが545年のことで、朝鮮半島南西部にあった百済という国から欽明天皇のもとに虎の皮がもたらされたことが『日本書記』に記されています。また、生きた虎が日本に初めて登場するのは890年で、それ以降、天皇や将軍など時の権力者に貢物としてもたらされた記録があります。

今回は、お経に出てくる、虎にまつわるお話です。


捨身飼虎

はるか遠い昔、マハーラタという名の王様が国を治めていました。王様には、マハーパーラ、マハーデーヴァ、マハーサッタという名前の3人の王子がいました。

ある時、王様は3人の王子を連れて山歩きに出かけました。大きな林で昼食をとった後、王様と王子たちは別れて、それぞれ別々の道を散策することになりました。

王子たちが山中に分け入って行くと、道端にうずくまる1匹の牝トラを見かけました。牝トラの周りには7匹の子トラがいて、母トラ、子トラとも飢えて死にかかっているように見えました。

これを見て長男のマハーパーラ王子は言いました。

「この母トラは、7匹の子トラに囲まれて餌を探しに行く暇もないだろう。飢えてどうしようもなくなれば、子トラたちを食べてしまうかもしれないなあ」

次男マハーデーヴァ王子は言います。

「哀れなことだ。このままでは、トラたちは間もなく死んでしまうだろう。助ける手立てはないものか」

三男マハーサッタ王子は思いました。

「私のからだを役立てる機会がやってきたのかもしれない」

兄の王子たちは、そのまま先へ行ってしまいましたが、マハーサッタ王子は一人残って思案しました。

「この困窮している母子のトラに我が身を与えよう。これは大いなる善業だ。この善業によって生死の海を渡り超えるのだ」

王子は衣服を脱ぎ捨て、トラの前に身を横たえました。しかし、いくら飢えているとはいえ、トラも何の危害を加えていない人間に噛みつくことはできません。王子は仕方なく、傍らに落ちていた先の尖った竹棒で自分のからだを突き刺して血を流し、崖によじ登ってトラの前に身を投じました。

この時、大地は大きく震動し、陽が陰って昼間なのに薄暗くなりました。トラたちは、王子のからだを噛み、血をすすって飢えを満たし、山中奥深くに立ち去って行きました。

二人の兄は、弟が後をついてこないので、トラのいた場所に戻ってきましたが、トラの姿はすでになく、マハーサッタ王子の衣服と人骨のみが残されていました。王子たちは気を失って倒れ、しばらくして意識をとりもどすと、大泣きしながらとぼとぼと王宮に帰っていきました。

ちょうどその時、王子たちの母親である王妃は、不吉な夢を見ていました。手のひらに乗せていた3羽のハトの内、1羽がタカにさらわれ、同時に自分の両乳房が割れ、歯がことごとく抜け落ちてしまうという恐ろしい夢でした。うなされ、体中に寝汗びっしょりとなって目覚めると、わが子の身に何が起こったのではないかと心配しました。

しばらくすると、家来がやって来るなり王様と王妃の前で泣き崩れながら、マハーサッタ王子がトラに身を与えたことを伝えました。

王様と王妃は、家来に案内させて、王子が身を投じた場所にやってきました。そこには小さな骨が散乱していました。

王妃は、あまりのことに気を失って倒れ、王様がやさしく声をかけるとようやく意識をとりもどしましたが、その悲しみようは尋常のものではありません。

二人の兄は、涙を流しながら、弟の遺骨を拾い集め、7種の宝石で飾られた箱に収め、宝塔に安置して供養したのでした。


他者の救済を尽くす


お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。

このお話は、お釈迦さまがインドを遊行中、パンチャーラ村に近い林に着いた時に、修行僧たちに話されたものです。お話に登場するマハーサッタ王子はお釈迦さまの前世の姿です。

このお話のテーマは「捨身供養」で、菩薩が自分の身を捨てて他者の救済につくすことを言います。もっとも、捨身供養は誰にでもできるものではなく、軽々しくまねるべき行為ではありません。あくまでも比喩(譬え話)です。

捨身の比喩によって無我の境地を説き明かし、人々をさとりへ向かわせるのがこの仏典の真意です。

捨身飼虎図

(箱書:法隆寺金堂所置玉虫厨子須弥壇画)東京国立博物館蔵 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
(箱書:法隆寺金堂所置玉虫厨子須弥壇画)東京国立博物館蔵 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

今回のお話「捨身飼虎」は、昔の仏教徒に印象深いお話として受け止められました。
このお話は、パーリ語※の『ジャータカ』には記述がなく、『賢愚経』、『金光明経』など漢訳経典に記されています。
またこうした経典だけではなく、このお話を題材とした絵画が、中国敦煌市にある仏教遺跡「莫高窟」の壁面に残されています。
私たちの国のものとしては、奈良県生駒郡にある法隆寺の「玉虫厨子」(国宝)に描かれたものが有名です。
画の一番上から、飢えた母虎と7匹の子虎を哀れに思い、虎の餌食となるため高台からわが身を捧げ投げるお釈迦さまの前世の姿が段階的に描かれています。王子が後に生まれ変わってお釈迦さまになるという説話の3場面を一つに描いたものです。
※東南アジア諸国に伝わる仏教の経典に使われている言語