浄土宗新聞

心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第19回

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浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。

第3章
弥陀如来余行を以て往生の本願となしたまわず。唯念仏を以て往生の本願となしたまえるの文

||味わい方

このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は、篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。

前回

無量寿経』というお経は、阿弥陀仏が法蔵という名の菩薩(修行者)であった時代、世自在王という名の仏のもと、種々の誓い(本願)を立てたことを説いています。極楽浄土をはじめ、すべての仏の国(浄土)は、菩薩が誓いを成就した結果、成立するとされます。世自在王仏は法蔵菩薩がすぐれた誓いを立てられるようにと、210億もの浄土を示されました。法蔵はそれらをご覧になり、「悪・粗・醜・不清浄」なものを悉く選び捨て、「善・妙・好・清浄」なものだけを選び取って(摂取)48の願を立て、無比にして至高の仏、最上にして究極の浄土の実現を目指されたのです。

このような取捨の結果、四十八願を選び取られたという考えは、法然上人がはじめて唱えられたもので、「選択思想」と呼ばれます。

そして『無量寿経』に説かれる〈摂取〉、同経とほぼ同じ内容を別の方が翻訳した『大阿弥陀経』や『平等覚経』に説かれる〈選択〉は、ともに「選び取り・選び捨て」の意味がある。これが法然上人の鋭い洞察による結論でした。

今号は、前号に引き続き、第三願と第四願における〈選択〉のありさまの解説から始まります。

次に〔極楽浄土に住む者をみな金色の姿にしたい〕という第三願(悉皆金色の願)についてです。世自在王仏から法蔵菩薩が見せていただいた210億の浄土の中には、住む者の肌の色が異なり、それによりいざこざを繰り返してしまう浄土と、住む者全ての肌の色が一様に金色に輝いていて、いつも和やかな浄土がありました。そのとき、前者を選び捨てて、霊妙で善い後者を選び取られたので〈選択〉というのです。

さらに〔極楽浄土に住む者の容姿に美しい者と醜い者との差がないようにしたい〕という第四願(無有好醜の願)についてです。法蔵菩薩がご覧になった210億の浄土の中には、容姿が美しい者と醜い者の差があり、おごりやねたみの絶えない浄土と、容姿に美醜の差がなく、互いに敬い合う浄土がありました。そのとき、前者を選び捨てて、霊妙で善い後者を選び取られたので〈選択〉というのです。

【解説】

これまで人類は、さまざまな原因から差別の心を起こし、多くの悲劇を生み続けてきました。ここでは、それらの差別の心の象徴として、仮に二つがあげられています。この心を払い、平等で平和な世界を実現することこそ私たちの共通の願い。四十八願が叶った極楽浄土は、そうした願いが実現されている場です。

肌の色が金色である理由について法然上人は「金色だけが、迷いの世界に戻ることのない不変の色です。それ故、あらゆる世界、あらゆる時代に現れたすべての仏は常住不変であることを示すため、金色の姿をされているのです」と示されています。私たちも極楽に往生すれば、決して迷いの世界に戻らない金色の菩薩として生まれ変わらせていただくのです。

第五願から第十七願は略して、〔極楽浄土への往生を願い生涯を通じて念仏を相続した者から、わずか十遍の念仏を修めた者に至るまで、皆、往生を得せしめよう〕という第十八願(念仏往生の願)についてです。

210億の浄土の中には、往生するために、施しの実践、戒(仏教徒の規範)を守ること、堪え忍ぶこと、努め励むこと、心を静め整えること、智慧をそなえること(絶対の真理を体得することなど)、さとりを目指す心をおこすこと、仏教者が尊ぶべき6種の対象を念じること、経文を読誦すること、不思議な力を秘めた呪文(陀羅尼)などを唱えること、などをそれぞれ必要な行とする浄土がありました。また、仏塔や仏像を建立すること、僧侶に食事を供養すること、親に孝養を尽くすこと、師匠や目上の人に仕えることなど、さまざまな行をそれぞれ往生の行とする浄土がありました。あるいはただひたすらその国土におられる仏の名前をとなえることを往生の行とする浄土がありました。

【解説】

いよいよ法然上人は、第十八・念仏往生願における〈選択〉について語り始めます。第十八願は、私たちが極楽浄土に往生するために修めるべき行について誓われています。上人は、210億の浄土に往生するためにこれまで誓われてきたであろう、さまざまな仏道実践を一つひとつ丁寧にあげられます。続いて、往生するための行と浄土との関係について多様な可能性があることを解説されます。

一つの行を一つの浄土と結び付けたのは、ひとまずあてはめただけに過ぎません。あらためてこの点について論じるならば、そうした理解だけでは不十分です。それは、往生するために種々の行が必要な浄土や、一つの行を共通の往生の行とする複数の浄土があるからです。

このように、浄土に往生するための行についての理解は決して一様ではないので、詳細に述べ尽くすことはできません。すなわちここでは、前述した施しの実践や戒を守ること、親に孝養を尽くすことなどのさまざまな行を法蔵菩薩が選び捨てて、ただひたすら仏の名前をとなえる行を選び取られたということです。それゆえ〈選択〉というのです。

【解説】

さまざまな考察を経て法然上人は、法蔵菩薩が他の一切の行を選び捨て、お念仏一行を極楽浄土へ往生するための行として選び取られたとし、だからこそ〈選択〉というのであると結論づけられます。なお第十八願をめぐる解説において上人は、仏道実践を取捨するという性質から、これまで言及していた「善悪・粗妙・好醜」などの価値判断を避けています。その理由は、次の問答を通じて明らかになります。

Q&A 教えて林田先生

第十八願

歌舞伎の十八番や野球のエースナンバーなど、もっとも得意とするもの、もっとも信頼できるものの代名詞として日本人になじみ深い「十八」という数字。その源流は、阿弥陀仏が浄土に往生するための行としてお念仏を定められた第十八・念仏往生願とされます。菩薩時代の阿弥陀仏(法蔵菩薩)が立てた四十八の本願。その中、第十八願がもっとも重要で大切な本願であることがその由来とされます。
その昔、長野駅を作る際、十八願にちなみ阿弥陀仏を本尊とする信州善光寺本堂から18丁(約2キロメートル)の場所を選んだといいます。現在のJR長野駅です。それを表す駅構内の「十八丁」にはじまる石碑は、善光寺の阿弥陀さまへ導くかのように、参道に立ち並んでいます。

  • 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
  • 大正大学仏教学部教授
  • 慶岸寺(神奈川県)住職
  • 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。