浄土宗新聞

心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第21回

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浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。

第3章
弥陀如来余行を以て往生の本願となしたまわず。唯念仏を以て往生の本願となしたまえるの文

||味わい方

このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は、篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。

前回

前号では、阿弥陀仏が多くの修行からお念仏一行を選択された二つの理由のうち、お念仏の功徳が勝れ、他の諸行の功徳は劣っているという〈勝劣の義〉を紹介しました。今号では、もう一つの理由、〈難易の義〉についてです。

【私釈】

次に〈難易の義〉とは、お念仏は誰にでも修めやすく、その他の諸行は修め難いということです。それを証明するかのように、善導大師の『往生礼讃』には、次のように述べられています。

「〈問う〉心を静めて阿弥陀仏のお姿を観察する行を修めさせず、ただひたすら阿弥陀仏の名号をとなえさせるのは、いったいどういった意図があるのか。
〈答える〉 衆生(すべての命ある者)は煩悩の障りが重いのに対し、観察の対象となる阿弥陀仏の姿は実に微細である。つまり、衆生の心は粗雑であり、実に不安定で、常にあちこちへ飛び散ってしまうので、阿弥陀仏の細緻な様相を観察する行を成し遂げるのは、とうてい困難である。こうした理由から釈尊は、慈悲の心、憐れみの心を起こされて、ただひたすら阿弥陀仏の名号をとなえさせようと衆生に勧められたのである。まさに称名念仏は修めやすいため、怠ることなく相続すれば、速やかに往生が叶う」 。

【解説】

お念仏は誰にでも修めやすく、 諸行は修め難い、 という〈難易の義〉について法然上人は、まず善導大師の『往生礼讃』を引用されます。ここでは、 〈観想の念仏〉と〈称名の念仏〉が対比され、〔観想=難・称名=易〕という図式を明らかにされます。

【私釈】

また恵心僧都の『往生要集』には、こうあります。

「〈問う〉あらゆる善行にはそれぞれの功徳があって、それに応じて浄土への往生を遂げることができる。それなのにどうして念仏一行だけを勧めるのか。
〈答える〉今、念仏を勧めているのは、他のさまざまな妙なる行を退けようとしているわけではない。ただ念仏は、男性も女性も、身分の高い者も低い者も、歩いていても留まっていても、座っていても横になっていても、いついかなる時も、修めるのが困難ではないからである。そして、臨終のとき浄土往生を願い求めるにあたり、念仏以上にふさわしい行はないからである」 。

これらお二人の祖師が説き示されたことから、お念仏は修めやすく、すべての人が実践できるもので、その他の諸行は修め難く、すべての人が実践できるわけではない、ということがわかります。

【解説】

続けて法然上人は、恵心僧都の『往生要集』を引用されます。ここでは、念仏と他の諸行が対比され、〔諸行=難 ・ 念仏=易〕という図式を明らかにされます。

『選択集』の草稿本を見ると、当初は『往生要集』のみを引用し、推敲の結果、 『往生礼讃』の部分を書き加えたことがわかります。当時、念仏といえば観想が主で、称名は付属のような扱いでした。法然上人は、 『往生要集』の引用だけでは、どちらを指しているか曖昧になってしまうと考えられたのでしょう。
往生礼讃』の引用を通じて上人は、念仏が観想を伴わない称名(無観称名)だと示されました。これにより、〔観想念仏を含む諸行=難・称名念仏=易〕という図式が完成したのです。

【私釈】

そうしたわけで阿弥陀仏は、すべての衆生を平等に往生させるため、難しい諸行を選び捨て、やさしいお念仏だけを選び取って、極楽浄土へ往生するための行として、本願の中でお誓いになったのでしょう。もし仏像を造ったり、堂塔を建てたりすることを本願とされたならば、貧しくて生活に苦しんでいる人々は往生する望みを絶たねばなりません。しかし、実際にはそれができるほど経済的に豊かで、身分の高い人は少なく、そうでない人は実に多いのです。

もし智慧深く才能豊かであることを本願とされたならば、それだけの智慧がない人は往生する望みを絶たねばなりません。しかし、実際には智慧深い人は少なく、そうでない人は実に多いのです。

もし仏の教えを多く見聞し、よく学ぶことを本願とされたならば、仏の教えをほとんど見聞することができなかった人は浄土へ往生する望みを絶たねばなりません。しかし、実際には仏の教えを多く聞いてよく学んでいる人は少なく、そうでない人がずっと多いのです。

もし戒律(仏教徒の約束事)を守ることを本願とされたならば、戒を破ったり、戒を授かっていない人は往生の望みを絶たねばなりません。しかし、実際には戒を守っている人は少なく、破ってしまう人が実に多いのです。

その他の諸行についてもこうした例に準じて理解すべきです。これらの諸行を本願とされたならば、往生が叶う人は少なく、叶わない人が多くなってしまうことを知らねばなりません。

だからこそ阿弥陀仏は、法蔵菩薩であられた昔、平等に救いの働きを及ぼそうと慈悲の心を起こされて、あらゆる衆生を救い導くため、仏像を造ったり堂塔を建てたりするなどの諸行を本願としてお誓いにならず、ただ称名念仏の一行を浄土往生の行として本願にお誓いになったのです。

【解説】

ここで法然上人は、阿弥陀仏が一部の人にしか修められない行を本願に定めず、誰にでも修めることができるお念仏を本願に定められた理由を述べられます。それは、命あるすべての者を平等に救い導きたいという阿弥陀仏の大慈悲を明らかにするためです。

上人在世の時代、貴族は巨費を投じた様々な善根功徳を盛んに修めました。豪華な装飾を施した写経『平家納経』の奉納や、一千もの観音菩薩像を安置した三十三間堂の造立などです。こうしたことは庶民にはほど遠いもので、とても一般的とはいえません。

そうした中にあって、「阿弥陀仏がそれらの行を選び捨てて、誰にでもできるお念仏一行を選び取られた」との上人の〈選択思想〉は実に画期的なことだったのです。

コラム 常行三昧

常行堂・法華堂(国重文)。内部は非公開。写真提供=比叡山延暦寺
常行堂・法華堂(国重文)。内部は非公開。写真提供=比叡山延暦寺

若き日の法然上人が修行に励まれた比叡山延暦寺。その西塔と呼ばれる区域に、渡り廊下によってつながった、同じ形の2つのお堂があります。向かって左が常行堂、右が法華堂。武蔵坊弁慶が両堂をつなぐ廊下に肩を入れて担ったとの言い伝えから、「にない堂」とも呼ばれます。
常行堂では、90日間を一期として、〈身体〉では阿弥陀仏の周りを歩み続け、〈口〉では「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」とお念仏をとなえ、〈心〉では阿弥陀仏を念じる修行、常行三昧が今も修められています。教えの理解こそ異なりますが、お念仏の源流がここにあるのです。

  • 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
  • 大正大学仏教学部教授
  • 慶岸寺(神奈川県)住職
  • 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。