浄土宗新聞

連載 仏教と動物  第24回 最終回 竜にまつわるお話

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お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教転籍(仏典) には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。この連載では『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
最終回は、今年の干支であり、神話・伝説上の動物「竜」を取り上げます。

仏教を守護するもの

「竜」や「ドラゴン」というと、私たちは、とげとげしい鱗と角をもち、短い手足を生やして口から火焔を吐くといったイメージを持ちます。これは、西洋や中国の「竜」のイメージによるものです。

これに対して仏教に登場する「竜」は、パーリ語、サンスクリット語の「ナーガ」を語源としていて、本来はインド神話に起源を持つ、蛇の精霊あるいは蛇神のことを意味しています。

本来、「蛇」、特に蛇の中王者ともいうべき「コブラ」を神格化した蛇神であった「ナーガ」が、コブラの存在しない中国においては、漢訳経典において「竜」と翻訳され、中国にあった竜信仰と習合して、日本にもその形式で伝わりました。

お釈迦さまがさとりを開く時に守護したとされ、仏教に「竜王」として取り入れられて以来、仏法の守護神となっています。

今回は、『ジャータカ』にある、竜にまつわるお話です。

竜の兄弟

昔、ヒマラヤのダッダラ山の麓にある竜の宮殿に、竜の兄弟の王子がいました。
兄はマハーダッダラ、弟はチュッラダッダラと呼ばれていました。

弟は怒りっぽい性格の乱暴者で、若い女の竜をからかってはいじめたり、ばかにしたり、殴ったり、悪さの限りを尽くしていました。

竜の王は弟の王子があまりに気性が激しいことを心配して、竜宮から追放するよう命じました。これを聞いた兄のマハーダッダラは、弟によく言い聞かせ、父王に謝らせて、やっと王の怒りを解きました。

二度目にまた王を怒らせた時も、謝らせて追放を思いとどまらせました。三度目の時には、王は許そうとはせず、それどころか、いつも弟をかばう兄の王子にも腹を立たせました。

「おまえは、こんな乱暴なやつをしかるのをなぜ止めるのだ。おまえも弟も同罪だ。この竜宮から出ていけ。バーラーナシーの都の臭い便所の中に、3年間住んでいろ」

そう言うと、王は兄弟の王子を竜宮から引きずり出してしまいました。

仕方なく兄弟の王子は、王に言われた場所へ行ってつらい生活を始めました。兄弟が便所の水の中で餌を探していると、村の子どもたちがやって来て、土くれや木片を投げつけました。

「おい、この頭でっかちで、尾っぽに針のある竜を見ろよ」

子どもたちは竜の兄弟をはやし立てて、口々にからかいました。

弟のチュッラダッダラは気性が激しく乱暴なので、子どもたちの侮辱に我慢ができなくなりました。

「兄さん、この子どもたちは俺たちを馬鹿にしているよ。俺たちにはものすごい毒があるのを知らないんだ。あいつらにからかわれているなんて、俺にはもう我慢できないよ。鼻で一吹きして、皆殺しにしてやろう」

弟は首を立てて、おそろしい牙をむき出して言いました。

「この猛毒を食らってみろ、俺たちの本当の強さを見せつけてやる!」

今にも子どもたちに飛びかかろうとすると、兄のマハーダッダラは、弟の肩を押さえてうたを唱えました。

国を追われて 我々は
他国に暮らす 身の上だ
悪態雑言 吐かれても
それを丸ごと しまい込む
大きな蔵を 造りなさい
他人の素性 人の徳
いちいち知らぬが 当り前
知らない人と ともに住み
自分が偉いと 思い込む
無意味な慢心 捨てなさい
故郷を離れて 住む者は
たとえ道理を わきまえて
自分が正しい 場合でも
愚かな人の ののしりに
強く耐えねば ならぬのだ

こうして彼らはそこで3年の月日を送りました。

弟のチュッラダッダラは、時々牙をむき出して人々の悪口に怒り出すこともありましたが、そのたびに兄の忠告を守り、目に涙をにじませて耐え、少しずつ我慢強くなっていきました。

やがて父王の怒りは解け、兄弟は国に帰りました。それからというもの、兄弟はわがままな心を抑えてほかの者のために尽くす立派な王子として皆の尊敬を集めました。

忍辱の大切さ

お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。

このお話は、お釈迦様が祇園精舎に滞在されていた時に、ある怒りやすい修行僧について語られたものです。

お話に登場するチュッラダッダラ王子は怒りやすい修行僧の、マハーダッダラ王子はお釈迦さまの、前世の姿です。

気性が激しくて心の狭い弟竜を、忍耐強くて広い心をもった兄竜が正しい道へ導きました。

このお話は、忍辱の大切さを表しています。仏教で、忍辱とは堪え忍ぶこと、分かりやすくいえば、忍耐、我慢することです。この忍辱の反対は、瞋恚(気に入らないことに対して怒ること)になります。

このお話のように、怒りにまかせて行動していれば必ず後悔することになります。忍辱はとても大切なこととして書かれています。

桜ケ池「龍神伝説」

静岡県御前崎市佐倉にある桜ヶ池は、東西北の三方を原生林に囲まれ、深い緑色の水をたたえる神秘的な池です。
この桜ヶ池には、法然上人が仏教を学んだ師の一人、皇円阿闍梨(?‐1169)が、自ら竜※となって桜ヶ池に棲んだとされる伝承があります。

-学才にあふれた比叡山の名僧・皇円阿闍梨は、世の中の人々を救済したいと自らさとりを開くため、難行苦行を重ねました。

しかし、仏さまに直接見えて教えを受けることができないことを嘆いて、「お釈迦さまの滅後、56億7千万年後に次の仏が現れると聞く。全ての命ある者を救うために、それまで生き長らえて、直に教えを受けたい」と願い、長寿といわれる竜になろうと決意して棲むための池を探し回ります。
そしてたどり着いたのが桜ヶ池でした。阿闍梨は、池の水を汲んで比叡山に戻った後に世を去り、竜になって桜ヶ池に棲んだとされます。

※『法然上人行状絵図』などの伝記にあるように、大蛇となったとの説もあります。