浄土宗新聞

心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第23回

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浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。

第3章
弥陀如来余行を以て往生の本願となしたまわず。唯念仏を以て往生の本願となしたまえるの文

||味わい方

このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は、篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。

前回

前号で法然上人は、阿弥陀仏の誓願が完成していると読み取れる『無量寿経』の箇所を丁寧に抽出して「願成就文」と名付けられ、四十八願の、第一願〈無三悪趣の願〉と第二願〈不更悪趣の願〉の願成就文にあたる箇所を取り上げられました。今号は、第二十一願の成就文について明かされる箇所から始まります。

【私釈】

また極楽浄土に住む者たちに、32の妙なる特徴(三十二相)をそなえていないものは一人としていません。このことから、 〔極楽浄土に住む者たちには皆、32の妙なる特徴が欠けることなく具わるようにしたい〕という第二十一願(具三十二相の願)を完成していることが知られます。

どうしてそれがわかるかというと、同じ経典( 『無量寿経』 )の他の箇所に「極楽に往生した者は、皆ことごとく32の妙なる特徴を具えている」と記されているからです。

このように、はじめの第一願(無三悪趣の願)から、 〔あらゆる世界の菩薩たちがわが名号(南無阿弥陀仏)の功徳を聞いたならば、真実の教えに対し、①恐れずに受けとめること、②素直にしたがうこと、③すべてのものは生じたり滅したりしないとさとること、という3種の理解を体得して、その境地からもどることのないようにしたい〕というおわりの第四十八願(得三法忍の願)に至るまで、一つひとつの誓願はすべて完成しているのです。

【解説】

ここではまず、第四十八願に誓われた三法忍について簡略に補足します。三法忍とは、音響忍・柔順忍・無生法忍という真理に対する3種類の確信です。音響忍は、仏の説法の声など、真理の音の響きに対しておそれを抱かないこと。柔順忍は、真理の教えに対して、従順なこと。無生法忍は、あらゆるものは本来、実体がない空であると確信することです。極楽浄土に往生した者は皆、これらの境地にいたることができるのです。

ここで法然上人は、複数の願成就文を挙げることによって、第一願から第四十八願までのすべての願が等しく完成していることを明らかにされたのです。

【私釈】

(このように、他のあらゆる願も完成していますから)第十八願(念仏往生の願)も間違いなく完成しているのです。ですから、お念仏をとなえる人は、みな往生を遂げることができるのです。

どうしてそれがわかるかというと、同じ経典( 『無量寿経』 )の他の箇所に「すべての命ある者が、阿弥陀仏の名号の功徳を聞いて信心をそなえ、歓喜の思いを起こして、生涯を通じて念仏を相続した者から、わずか一遍の念仏しかとなえなかった者に至るまで、まことの心を振り向けて、極楽浄土に往生しようと願うならば、速やかに往生がかない、迷いの世界に再び生まれ変わらない境地に到達することができる」と記されているからです。

【解説】

法然上人は、 『無量寿経』下巻の冒頭にある一節を第十八願〈念仏往生の願〉の成就文であると見出されました。もちろん、法然上人がさまざまな願成就文について言及されたのは、私たちにお念仏をとなえさせようとするのが最終的な目的であることは明らかです。そのために上人は、第十八願が間違いなく完成していることを明示する必要がありました。なぜなら阿弥陀仏の誓願が完成してこそ、私たちが自信をもってお念仏をとなえることが可能となるからです。

【私釈】

そもそも四十八願が完成されていることによって、極楽浄土は比類のない環境(荘厳)が整えられているのです。極楽浄土の蓮華が咲き誇る池や、金・銀・瑠璃など多くの宝で飾られた楼閣も、阿弥陀仏の本願の力によって荘厳されていないものはありません。そうした中において念仏往生の願だけを疑うべきではありません。

そればかりか、阿弥陀仏は四十八の願一つひとつに、 「もしこの誓いがかなわないようであれば、私は決して仏とならない」とおっしゃっています。 『阿弥陀経』には、 「阿弥陀仏が成仏を遂げられて以後、今に至るまで十劫もの時が過ぎている」と説かれており、したがって、阿弥陀仏が成仏するにあたって立てられたすべての誓いは、すでに完成していることは明らかで、まさに、一つひとつの誓願がいたずらに立てられたものではないことを知るべきです。

ですから、善導大師は「阿弥陀仏は、今、現に極楽浄土にいらっしゃって成仏を遂げられている。まさに阿弥陀仏が菩薩時代に立てられた慈悲深い誓願は決してむなしいものではなく、衆生が念仏をとなえれば必ず浄土往生はかなうことを知らねばならない」とおっしゃっているのです。

【解説】

阿弥陀仏は、ご自身の国土そのものについての誓願も立てられました。あらゆる諸仏の浄土が鮮明に映し出されて見えるほどに極楽浄土を清浄にしたい、という第三十一願〈国土清浄の願〉や、宮殿や樹々など、極楽浄土のあらゆるものが無量の宝玉をそなえたものにしたい、という第三十二願〈国土厳飾の願〉です。ここでは、極楽浄土の環境がこうした誓願にもとづいていることを明かすことによって、 〈念仏往生の願〉も成就していることを述べられたのです。

また法然上人は、阿弥陀仏の四十八願がすべて完成していることを『選択集』以外でも、 「薬師如来の12の誓願には〈不取正覚(もしこの誓いが叶わなければ、私は決して仏とならない) 〉という言葉がなく、千手観音誓願には〈不取正覚〉の言葉はあるものの、いまだにさとりをひらいてはおられません。それに対して阿弥陀仏は〈不取正覚〉の誓願をおこし、さとりを開いてからすでに十劫という永い時を経ています」 ( 『念仏大意』 )と述べられるなど、各所で強く訴えておられるのです。

次回は、念仏における〈念〉と〈声〉との関係についてです。

教えて林田先生

三十二相

本文で登場した三十二相とは、仏の身体に具わる、目に見える32種類のすぐれた特徴のこと。
頭部だけに限っても、頭の上の肉が髪を束ねたように隆起し、智慧の豊かさを表す頂髻相はじめ、眉間に救いの光を放つ白い毛の丸まったものがある白毫相、まつげが長くて美しい牛眼睫相。青い蓮華のように瞳が青い真青眼相、頰が獅子のように平たく大きい獅子頰相。舌を出すと顔全体を覆うほど大きい大舌相、歯並びが良く、揃っている歯斉相、雪のように歯が白い牙白相、歯が40本ある四十歯相、などがあります。
お寺などにお参りの際には、仏像のお姿をよくご覧になってみてください。
仏のレリーフ(部分)。ガンダーラ美術。頂髻相や白毫相などの特徴が見て取れる。


  • 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
  • 大正大学仏教学部教授
  • 慶岸寺(神奈川県)住職
  • 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。