心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第25回
浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。
第4章
三輩念仏往生の文
①
||味わい方
このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は、篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。
【前回】
今号から第4章に入りますが、その前に、第3章を振り返っておきましょう。
阿弥陀仏が菩薩(修行者)であったとき、自身の浄土にすべての命ある者を迎えられるように、一切の仏道修行から、ただお念仏一行を選び取って、お念仏をとなえる者をもらさず往生させる、と誓われました。そして、果てしない歳月にわたる修行の末、その誓いを成就されたのです。
法然上人は、このお念仏こそ阿弥陀仏があらゆる仏道修行を取捨する「選択」を経て、浄土往生の行として「本願」に定められた称名「念仏」であることから、「選択本願念仏」と名付けられました。
「選択本願念仏」こそ、『選択集』の主題に他なりません。さらに上人は阿弥陀仏の深意を汲み取り、すべての者にやさしく修められるお念仏には、その広大な力が直接および、もっとも勝れた功徳を有することを明らかにされました。
このように阿弥陀仏のみ心を汲み取ることが中心であった第3章に続き、第4章では『無量寿経』を説かれた釈尊の真意に迫っていかれます。
【偏目】
『無量寿経』において、浄土往生を願う者の資質や能力に3通り(三輩)あることが説かれますが、釈尊は、どのような資質の人にとっても、本願念仏が浄土往生の行であると説き示されていることを明らかにする章です。
【解説】
本章において法然上人は、『無量寿経』に説かれる三輩の箇所を全文にわたり引用されます。そこにはお念仏が説かれる一方、浄土往生のための多くの行が列挙されています。上人は、釈尊がお念仏に加えて、さまざまな行を説かれた理由について後の私釈で明らかにされていきます。
【引文】
釈尊が阿難尊者に次のようにおっしゃった。
「あらゆる世界のすべての命ある者が、心から極楽浄土に往生しようと願うにあたり、その者たちを次のように上輩・中輩・下輩の3通りに分けることができる。上輩とは、①出家して、欲を離れて僧侶となり、②さとりを目指す心をおこし、③心を一つにしてただひたすら阿弥陀仏の名号をとなえ、④さまざまな功徳を修め、⑤極楽浄土に往生しようと願う者である。こうした者は臨終の際、阿弥陀仏が多くの聖者とともに、その者の前に姿を現される。そして、その者は阿弥陀仏に付き随したがって極楽浄土にすぐさま往生し、7種の宝石などでできた蓮華のなかに生まれて、仏道を後戻りしない境地に至る。その者は、何者にも屈しない力強い智慧、自在に駆使できる超人的な能力(神通力)を得る。それ故、阿難よ、命ある者が今の世において阿弥陀仏にお会いしたいと望むならば、まさにこの上ないさとりを目指す心をおこし、さまざまな功徳を修めて、極楽浄土に往生しようと願うべきである」
【解説】
上輩とは、欲望を捨て、出家し僧侶となり、さまざまな功徳を修めた結果、阿弥陀仏の来迎を目の当たりにして速やかに浄土往生を遂げ、妙なる力を身につけることができる人のことです。仏教教団を主導していく方の往生ともいえましょう。
ここでは、大まかに①から⑤まで、五つの行があげられますが、法然上人は、③のお念仏(一向専念無量寿仏)に注目されます。
【引文】
続けて釈尊が阿難尊者に次のようにおっしゃった。
「中輩とは、あらゆる世界のすべての命ある者が、心から極楽浄土に往生しようと願うにあたり、僧侶となって、多くの功徳を修めることができなかったとしても、❶この上ないさとりを目指す心をおこし、❷心を一つにしてただひたすら阿弥陀仏の名号をとなえる者である。そして、自己の力量に従い、❸心身を清浄に保つ戒律を守り、❹仏塔や仏像を造立し、❺僧侶に飲食を施し、❻華麗な絹の布で仏塔や仏像を飾り、灯明を捧げ、花をまき、香を焚いて仏を供養するなど、多少の善行を修め、❼これらの功徳を振り向けて極楽浄土への往生を願う者である。その者の臨終の際、阿弥陀仏は仮の姿(化仏)をお示しになる。化仏が放つ光明や具えている大小の特徴(相好)は、本当の仏と同様で、多くの聖者とともに、その者の前に現れ出る。そして化仏に付き随ってすぐさま極楽浄土に往生し、仏道を後戻りしない境地に至る。こうして往生した者が具える功徳や智慧は、上輩の者に準じている」
【解説】
中輩とは、出家こそしないものの、戒律を守り、仏・法・僧の三宝を敬う生活を続けた結果、阿弥陀仏の化仏の来迎にあずかって速やかに浄土往生を遂げ、上輩の者に準じる力を身につける人のことです。信仰があつく、仏教教団を中心となって支えていく方の往生ともいえましょう。
ここでは、❶から❼まで、七つの行があげられますが、やはり法然上人は、❷のお念仏(一向専念無量寿仏)に注目されます。次号では、下輩に続いて、法然上人による私釈が始まります
コラム 二十五菩薩
上輩や中輩の者には、阿弥陀仏が「多くの聖者とともに、その人の前に姿を現される」と説かれます。これを受けて、観音菩薩や勢至菩薩はじめ25の菩薩たち(二十五菩薩)が来迎図に描かれるようになります。もともと二十五菩薩が説かれるお経には、浄土往生を願う行者を守護するため、阿弥陀仏が二十五菩薩をつかわすと示されていましたが、次第に阿弥陀仏とともに来迎すると受けとめられるようになりました。
當麻寺(奈良)や誕生寺(岡山)、淨眞寺(東京)などでは、その来迎を表現した練ねり供養が行われています。
教えて 林田先生!
引文にある〝仏道を後戻りしない境地〟とはどんな状態なのですか?
仏教には、修行者である菩薩が仏となるまでにいくつかの階位があるとの考えがあり、修行により、その階位が進むこともあれば、怠おこたりによって退しりぞいてしまうこともあるとします。しかしこの〝後戻りしない境地〟(不退転)に至ると、字のごとく階位が戻ることがなくなります。
私たちの住む世界では、わき起こる煩悩によって階位が後戻りしてしまいがちですが、極楽浄土の素晴らしい環境に身を置くことで、不退転の境地に至り、さとりを目指して、まっしぐらに進むことができるのです。
- 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
- 大正大学仏教学部教授
- 慶岸寺(神奈川県)住職
- 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。