【こころのケア】Webカウンセリング 2
コロナ禍でのこころのケアをめぐる「新しい生活様式」
Q:高齢の両親が心配だが、今帰省すべきか
私はコロナ感染者が増えている東京で働いているOLです。毎年、お盆の時期には、田舎で暮らす両親に会いに帰省しています。
今帰省するのは、「不要不急」かもしれないと思いながらも、遠く田舎で二人暮らしの高齢の両親が心配です。病気がちな母の入退院も気になります。
職場の同僚は、「パソコンなどを使ってリモートで両親に会えば」とアドバイスをくれますが、私はアナログ人間なので、帰省をリモートで済ませたくありません。
ただ、どのような形でも人とつながれば良いとする同僚の気持ちは分かりますし、「職場の感染者第一号になりたくない」とする気持ちから出たアドバイスであると思います。そう思いながらも心の中では、「誰にでも感染する可能性はあるので仕方ない」と考えてしまいます。
このことを父に相談すると、「大丈夫だから、帰って来なくて良い」と言いますが、両親が高齢のため、もう会えなくなるかもしれないと、一人、部屋で考えていると涙と鼻水でぐしゃぐしゃになってしまいます。
このまま父の言葉を鵜呑みにして人生の選択を誤ることはないでしょうか。
A:自分の気持ちに正直に後悔しない選択を
人生に誤りは付きものです。とくに相手あっての人間関係に完璧はありません。誤りに気づいたら謝って、また〝はじめの一歩〟を踏み出すことが大事だと思います。何度気づいても同じ過ちを繰り返すのが私たち人間です。その愚かさに謙虚でありたいものです。
今や「対面し肉声で対話する」といった生身のアナログ的環境は少なくなっていますが、人とつながる方法は電話、メール、インターネットなど多様です。その意味で仲間とつながりたい人にはリモートも大切な手段の一つかもしれません。人は一人では生きられない存在だとしたら仮に感染が降りかかっても「仕方ないよ」と考えるあなたは、現実を避けたり誤魔化して抗うのではなく、真面目に受けとめられる人だと思いました。
さて、とりわけ家族・高齢者感染が問題になりつつある中で、身軽な立場で「いつでも会える」と思っていた両親にそうもいかない現実が迫り、両親を思う気持ちは募るばかりのようですね。帰省を躊躇している自分がもどかしくもなるでしょう。気軽に帰郷する人と比べると悩みは深まるばかりかと思います。
帰省があなたにとって「不要不急」なのか「必要至急」なのか判断するには、あなたを心配させまいとする両親の気持ちも慮る必要があります。物理的に離れていても不思議な縁の働きでつながっていると思えるのは、お互いを深く思いやるこの関係があればこそです。単に「会う、会わない」という関係ではないのです。
あなたと両親がPCR検査を受け陰性の結果が出てから帰省しますか。それとも、多少のリスクは覚悟のうえで両親との優先すべき問題を重視してすぐ駆け付けますか。今一度、自分の気持ちに正直に向き合ってみてください。いずれにせよ感染防止の自粛が「何も決めない、やらない」という後悔するような人生の選択にならないようにと願っています。
迷わないための お釈迦さまからのアドバイス
「お釈迦さまからのアドバイス」には、現代にも通じる人生を迷わずに生きていくためのヒントが、示されています。
ここでは「こころのケア紙面カウンセリング」であげた相談例に沿った「お釈迦さまからのアドバイス」からそのヒントとなる視点を提示します。
後悔しない生き方をする
「後悔するようなことをしないように。後でやって良かったと喜ぶことができる善い行いをしなさい」というお釈迦さまの教えです。ここで言う善い行いとは、自分が喜ぶ行為だけではなく、相手がされて幸せな気分になれる行為のことです。
お釈迦さまは心をきれいにして物事に向かうようにと説いています。決して成り行きまかせではなく、一つひとつ最善の判断をして物事に臨む姿勢が大切になります。
また、仏教には、「諸行無常」という教えがあります。これは、「あらゆる現象はすべて移り変わり、一瞬として同じ状態にとどまってはいない」という真理を表わしたものです。
私たちは、いつどこで死ぬかもしれない無常の身です。いつまでも今の自分のままでいられる保証は何もありません。限られた命だからこそ、後悔しないように充実した人生を送りたいですね。
富田 富士也とみた ふじや
子ども家庭教育フォーラム代表。教育・心理カウンセラー。千葉明徳短大客員教授、千葉大教育学部非常勤講師を兼務しつつ相談活動から若者の「引きこもり」をいちはやく問題提起する。『浄土宗新聞』『THE法然』『知恩』に連載。著書『甘えてもいいんだよ』『だっこ、よしよし、泣いて、いいんだよ』『心理カウンセラーを目指す前に読む本』等多数。