連載 仏教と動物 第14回 羚羊にまつわるお話
イラスト 木谷佳子
お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教典籍(仏典)には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。この連載では『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
第14回目は、温厚なイメージを持つ動物「羚羊」を取りあげます。
お釈迦さまの姿
羚羊(かもしか)はウシ科の動物で、鹿というよりは山羊や牛に近い種類で鹿との大きな違いは、鹿は角が毎年生え変わるのに対し、羚羊は牛と同じく角が生え変わることなく、成長する点。
原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』には、お釈迦さまの姿を「羚羊の脛のように、ほっそりしていて、しかも雄々しい」と、譬えています。ここでの羚羊は、日本固有種の「ニホンカモシカ」とは違う種で、「アンテロープ」のことをいいます。細身で美しい脚を持ち、その優雅な姿がお釈迦さまの姿と結びつけられるのにふさわしいものであったのでしょう。
今回は、『ジャータカ』にある、羚羊にまつわるお話を紹介します。
猟師とカモシカ
昔、インドのバーラーナシーの都でブラフマダッタ王が国を治めていた時、ある森の中に、枝もたわわにたくさんの果実をつけた大きなセーパンニの木がありました。
森の中に住んでいるカモシカたちは、いつもこの木の下にやって来て、おいしそうに熟した果実を食べていました。
村に住んでいる一人の猟師が、この木の下によくカモシカがやって来ることに気がつきました。それである時、彼はこの木によじ登り、高い所にある太い枝に見張り台を作り、そこに座って機会をうかがっていました。
三日目、猟師は、カモシカたちが木の下にやって来るのを見ました。
「しめた、このチャンスを待っていたんだ」
彼は、果実をおいしそうに食べているカモシカの首筋にシュッと槍を投げました。ほとんどのカモシカは難なく猟師に捕らえられ、彼はその肉を売ってお金をもうけました。
ある日、猟師はその日も、木の下に真新しいカモシカの足跡を見つけました。
翌日、朝早く食事をすませると、槍を持って森に入り、そのセーパンニの木によじ登って台の上に腰をかけました。そして息を凝らして、今か今かとカモシカが来るのを待っていました。
カモシカの群れの中に、一頭の大変賢いカモシカがいました。非常に落ち着いていて、その上用心深いカモシカでした。彼は、この頃、仲間のカモシカが森で殺されてしまうことが多いことに気づいていました。
「あのセーパンニの木の果実を食べていると殺されてしまうってことは、きっとあの木の上に猟師が隠れて狙っているに違いない」
そう思ったカモシカは、その木の真下には行かず、少し離れた場所にじっと立っていました。
猟師は、カモシカがなかなかやって来ないのを見ると、次第に気持ちがイライラして、果実をカモシカの方に投げ落としました。
ふいにわざとらしい落ち方で果実が落ちてきたことを怪しんだカモシカは、その木を何度も見上げているうちに猟師を見つけましたが、見なかったようなふりをして、わざと大きな声を上げて、
「おうい、セーパンニ君、君はいつも、果実を真っすぐ下に落としていたのに、いったいどうしたんだい。今見ていたら、投げるように果実を落としたね。君は、果実は真下に落とすという木の約束を破ってしまったね。これからはもう君の果実は食べないよ。ほかの木の下に行って、枝から真下に落ちてくる本当の果実を食べるよ。さようなら」
と言って、晴れやかな声でうたいました。
セーパンニ セーパンニ
私は全てを 知っている
セーパンニ セーパンニ
だれかが枝に 潜んでる
だれかの投げる 不吉な 果実
私はそれを 食べないよ
そのうたを聞くと、猟師はかっとして、そのカモシカに向かって槍を投げましたが、力強く地面を突き刺しただけでした。
「お前はこんなやり方で、私の仲間をさんざんひどい目にあわせたね。お前も死んだら、もっと苦しくて恐ろしい地獄の中を歩いていくだけだろうよ。火の海、血の池、針の山とね。そのうえお前の槍よりももっと痛い責め道具で、つらい思いをするだろうよ」
そう言うと、カモシカは森の中に姿を消しました。
「お前はもっとひどい目に」
「お前はもっとひどい目に」
カモシカの声が猟師の耳にいつまでも聞こえていました。
殺生を非難する
お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、幾度となく善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。
このお話は、お釈迦さまがインドの祇園精舎に滞在している時に、お釈迦さまを何度も殺そうとするなど、お釈迦さまに対して誹謗を繰り返す、かつての弟子で従兄弟の提婆達多について語られたものです。
登場する猟師は提婆達多、羚羊はお釈迦さまの前世の姿です。
木の上に隠れて果実を食べにくる羚羊を槍で殺して、お金をもうけていた猟師を、賢い羚羊が見破って戒めました。お釈迦さまの智慧を表すとともに、殺生を非難しています。
【コラム】カモシカのような足?
「カモシカのような足」。これは、スラリとした綺麗な足のことを言い表す表現です。
カモシカは、山中に生息しているため、崖や斜面などを駆け下りたりするのに適した太くしっかりとした足を持っています。
では、なぜスラリとした足のことを「カモシカのような足」と言うのでしょう。
細長く美しい足を持つアンテロープ(ガゼルの一種)も、カモシカと同様に「羚羊(れいよう)」と呼んだことから混同したなど、諸説ありますが、「カモシカのような足」の由来の一つとされているのが、仏様にそなわる32のすぐれた身体的な特徴を挙げたという「三十二相八十種好」です。
「三十二相八十種好」の中の「伊泥延腨相」には、「足のふくらはぎが鹿王のように円く微妙な形をしていること」という意味があります。「伊泥延」は鹿の一種であり、これが由来とも考えられています。