浄土宗新聞

浄土宗のお坊さんと見る一作:1『機動戦士ガンダムSEED』

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全3回にわたって、広く親しまれている漫画やアニメの中から、浄土宗僧侶がオススメの一作を仏教や浄土宗の視点から紹介します。(隔週更新)


『機動戦士ガンダムSEED』
原作:矢立肇、富野由悠季  監督:福田己津央  製作:サンライズ
放送:2002年10月~2003年9月 ※HDリマスター:2012年1月~11月(全50話)
機動戦士ガンダムSEEDシリーズ公式サイト:https://www.gundam-seed.net/

頭脳が発達した人類でも憎しみ合う「凡夫」

本作はいわゆる「ガンダム」と呼ばれるアニメシリーズのうちの一作である。シリーズの大概は、たまたま「ガンダム」というロボット(作中では「モビルスーツ」と呼称される)に乗った主人公が戦争に巻き込まれていき、成長するなかで戦争の理不尽さなどに思い悩むようなストーリーが展開していく。
シリーズによってさまざまな世界観が構築されているが、この『機動戦士ガンダムSEED』という作品の世界では、遺伝子操作の技術が発達している。頑強な肉体、明晰な頭脳、美麗な容姿に成長するように遺伝子を調整されて生まれた人類「コーディネーター」と、そのような遺伝子操作をせずに自然に生まれた人類「ナチュラル」の争いが描かれている。
ナチュラルは優秀な肉体・頭脳などを持つコーディネーターを妬み、遺伝子操作を自然に反することとして危害を加える。逆にコーディネーターは能力的に劣るナチュラルを見下し、嫉妬から危害を加えられることに対して抵抗する。戦争中盤から終盤にかけては大規模な作戦のもと互いに大量破壊兵器を用いて相手を殲滅することまで試みる。またナチュラル同士、コーディネーター同士でも、貶め、欺き、裏切る場面も垣間見られる。
そのような争い合う世界において、登場キャラクターの1人が問う。「殺されたから殺して、殺したから殺されて、それで本当に最後は平和になるのか?」と。このセリフは、私たちの現実の世界においても顧みなくてはならないことである。同時にそれは、法然上人の父である漆間時国公の遺言にも通じるのではないだろうか。
将来、遺伝子操作などによってコーディネーターのような人類が誕生するかはわからない。しかし、作中では頭脳・知能が発達した人類であっても妬み、憎しみ、争っている。人は知能や技術が発達しても「貪り」「瞋り」「痴かさ」という根本煩悩である三毒を消除し得ない、どこまでいっても至らない凡夫なのではないかと思わされる世界観の作品である。科学の発展の先にあるかもしれない現実と、それにも通じる仏教や法然上人の人間観の普遍性を想像してもらいたい。


評者紹介:大橋 雄人(おおはし ゆうにん)
1981年生まれ。神奈川教区大蓮寺住職。大正大学非常勤講師。浄土宗総合研究所研究員。大本山光明寺記主禅師研究所研究員。全国浄土宗青年会事務局等。