心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第6回
浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。
第1章
道綽禅師聖道浄土の二門を立てて、しかも聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文
⑤
||味わい方
このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は、篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。
【前回の復習】
前回は、曇鸞大師の『往生論註』からの引用を途中まで紹介しました。曇鸞大師は、あらゆる仏教の教えを難行道・易行道の二つに分けられ、そのうち自身の力(自力)をたよりにさとりを求める道を難行道とされました。
今回は、もう一つの道、易行道についての説明からはじまります。
【私釈】
「一方、易行道とは、ひとえに、あらゆる生命を救いたいとの阿弥陀仏による誓いを信じ、浄土往生を願って念仏をとなえれば(因)、阿弥陀仏の誓いの力により(縁)、すみやかに清浄な極楽浄土への往生を遂げられる道である。そして、その浄土で阿弥陀仏の力を受けて、仏となることが約束される境地(正定聚)にただちに到達する。正定聚とは、決して修行の退転しない境地のことである。たとえるならば易行道とは、水路を船に乗って進んでいくように、実に楽しい道である」と。以上です。
【解説】
ここで曇鸞大師は、易行道とは阿弥陀仏による救いの働き(他力)に重きを置く教えであり、浄土往生の暁には、さとりを開くことが約束される正定聚に至ると示されました。これは、阿弥陀仏が立てられた48の誓いの11番目「もし、私が仏となった時、私の国土(極楽)に住む人々は正定聚の境地に至り、必ずやさとりを開くことを約束しよう。もし、それが叶わないならば、私は決して仏とならない」(第十一住正定聚の願)にもとづきます。このように阿弥陀仏の極楽浄土では、往生したすべての者にさとりを開くことが約束されているのです。
【私釈】
この『往生論註』に示される難行道・易行道とは、『安楽集』に書かれる聖道門・浄土門に他なりません。難行道・易行道と聖道門・浄土門とは、ことばこそ異なっていますが、意図するところはまったく同じなのです。中国天台宗を開いた天台大師智顗は『浄土十疑論』において、唐代の学僧・迦才禅師は『浄土論』において、それぞれこの難行道・易行道の一節を引用していることから考えても、祖師方の立場はまったく同じことが知られます。
【解説】
法然上人は、曇鸞大師による難行道・易行道と道綽禅師による聖道門・浄土門とが対応することを明らかにされました。ここで留意しておきたいのは次の点です。まず、曇鸞大師による難行道・易行道についての言及は、中観派といわれる仏教学派の祖・龍樹菩薩の書いた『十住毘婆沙論』の内容にもとづいています。龍樹は、〈大乗仏教の祖〉〈八宗の祖〉と広く尊(たっと)ばれるとともに、わが国の真言宗では、真言密教を受け伝えた8人の祖師の一人とします。さらに『浄土十疑論』は、当時わが国で絶大な影響力をもっていた天台宗で高祖とたたえられる天台大師の著作と伝えられます。このように法然上人は、他宗の祖師たちの説示を背景に、浄土宗の教えの正統性を訴えられたのです。
【私釈】
次に唐代の僧で法相宗の祖といわれる慈恩大師が撰述された『西方要決』の一節を紹介しましょう。
「謹み敬って思いを巡らせてみれば、釈尊は時を選んで、縁のある人々を広く教化された。その教えは、あらゆる場所、あらゆる人々にゆきわたり、あたかも大地に雨が降り注ぐように、その慈悲の心は広く人々の心を潤された。釈尊に出会って、直接教えを受けた者は、それぞれの能力に応じ、声聞・縁覚・菩薩という3種類の教え(三乗)が目指すさとりに至る道を修め、それぞれのさとりを得た。
一方、功徳や善い行いが少ない者に向けて釈尊は、西方浄土を目指す教えに帰依することを勧められた。この教えに帰依した者は、ただひたすら阿弥陀仏を念じて、あらゆる功徳を浄土への往生のためにふりむけることにより、それが叶う。なぜなら阿弥陀仏は自身の本願において、迷いの世界に生きるすべての命ある者を救おうと『上は一生涯にわたり念仏を相続した者から、下は最期臨終の場においてわずか十遍しか念仏をとなえられなかった者に至るまで、ことごとく皆、浄土往生を叶えよう』と誓われたからである」。以上です。
【解説】
法然上人は『西方要決』の一節を2カ所続けて引用されます。まずここでは、釈尊に出会い、親しく教えを受けることができた者ならばいざ知らず、福徳が薄く善因が少ない者は、阿弥陀仏の本願に基づいて浄土往生を目指すべきことが勧められます。
【私釈】
また、今の『西方要決』のあとがきには次のようにあります。
「そもそも思いを巡らせてみれば、現在では、釈尊の入滅から遙かな時を隔て、釈尊の教えも、それを実践する者も、わずかに残っているとはいえ、さとりを開く者など一人もいない、そんな時代の終わりに、この私は生を受けた。したがって、三乗の教えを示されても、とてもさとりにいたるすべなどない。迷いの世界(六道)のなかでは、人や天人という、善き境涯に生を受けたとしても、心は常に揺れ動いて落ち着かず、決して、心身が動揺しない安らかな境地に辿り着くことはない。もし、さとりを目指す智慧の心が広く、人を思いやる慈悲の心が深い者ならば、この迷いの世界に久しく留まったまま、厳しい修行に堪えてさとりを開くこともできよう。しかし、心が愚かで、行を修めることもままならない者は、きっと道理に暗い地獄・餓鬼・畜生といった、六道のなかでも悪しき境涯に堕ち込んで、そこで溺れ続けてしまうことだろう。
だからこそ私たちは、必ずやこの迷いの世界から自身を遠ざけて、常に極楽浄土に心を寄せ続けなければならないのである」と。以上です。
【解説】
ここでは、今やさとりに到達する者が一人もいない時代の終わりであるとの見方に基づき、修行もままならない私たちは、三乗の実践ではなく、浄土往生を目指すべきことが重ねて強調されます。次回は『西方要決』についての法然上人による解釈と浄土宗の教えの相伝についての内容へと続きます。
||コラム
曇鸞大師
曇鸞大師は、5世紀後半から6世紀前半に活躍した中国北朝の浄土教者。法然上人が「中国にお念仏の教えを弘めた5人の祖師(浄土五祖)」と定めたうちの一人です。はじめ四論宗の教えを学んでいた曇鸞ですが、病を患い、回復したのちも再発をおそれ、長寿を得る方法を道教の教えに求めます。ついに不老不死の術が書かれた道教の書「仙経」を授かったその帰路、浄土教に帰依したインド人僧侶・菩提流支と出会います。曇鸞が、「仙経にまさる長生不死の法が仏教にあるか」と質問すると、菩提流支は「どれほど長らえても、浄土に往生して量り知れない寿命を得る功徳には比べようがない」とさとし、浄土教典を授けました。これを契機に曇鸞は浄土教に回心して、浄土教の思想と信仰の高揚に尽力されたのです。
- 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
- 大正大学仏教学部教授
- 慶岸寺(神奈川県)住職
- 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。
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心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第5回
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