2026年6月:慈悲の雨 心潤す
皆さまにとって〝いい天気〟とは、どのような天気でしょうか。心地の良い日を〝いい天気〟と捉える方が多いと思います。テレビ等で天気予報を伝える気象予報士やアナウンサーの方たちは〝いい天気〟という表現は使わないそうです。
例えば、晴れた日が続けば「傘を持つ必要もないし、洗濯物も干せて嬉しい」と思う人も多いかと思います。しかし日照りが続けば、お米や野菜を育てている農家の人たちにとっては死活問題となります。逆に雨が降れば、お出かけを予定している人は残念に思いますが、農家さんにとっては恵みの雨となります。以前タクシーに乗った際に運転手さんが「急に雨が降ると、お客さんが増えて助かる」と言っていました。つまり多くの人は自分にとっての〝いい天気〟〝悪い天気〟という、判断をしているのです。これは天気に対してだけではありません。例えば「あの人はいい人、この人は悪い人」などと決めつけてしまっていないでしょうか? よく考えてみてください。もしかしたら天気と同じで、その人は自分にとって都合の悪い人、というだけのことかもしれません。
このように自分都合、自分主観で考えてしまうことが多いのが私たちであります。ですから苦しみや悩みも多く、争いごとも避けられません。知らず知らずのうちに罪を犯してしまいかねない、そんな至らぬ私たち。仏教ではこうした姿を「凡夫」と呼びます。
こんな私たちに対しても、雨が大地を潤すように仏さまの慈悲の心は平等に注がれています。「慈悲」とは、単なる優しさではなく、苦しみを抜き、相手に楽を与えたいという心のことをいいます。
「慈悲の雨 心潤す」大地を潤し、いのちを育む雨。雨が降るからこそ、その潤いから根を張り、葉をつけ、花を咲かせる。どうしてもきれいな花に目がいきがちでありますが、花を咲かせるにはしっかりとした根が必要です。そして、しっかりとした根を張るには、雨は欠かせない存在であります。
実りをもたらす雨のように注がれる仏さまの慈悲の心は、人々の心を癒し、大きく深い安らぎをもたらします。凡夫である自覚を持ち、その有難さに気づく人にこそ、よりその有難さが染み渡っていきます。
(愛知県一宮市 永松院 浅井健太)