2022年11月:じんわり伝わる あたたかみ
私のお寺では、十二月に歳末のお参りを行っており、近所のお檀家さんの御自宅を回ります。お檀家さんから、熱いお茶を出していただくことがありますが、そのときは湯呑に手を当てただけで、寒さでかじかんでいた手が解凍されていくような感覚がいたします。じんわりとお茶の温もりが手に伝わってくるのと同時に、お檀家さんからの思いやりの心も伝わってきます。
身近にある温かみに気づけるのは、心身が凍てつくほど冷え込んでいる時です。人生の試練に直面した時や苦しみが満ちた時、心は季節を問わず冷え込みます。今、私は身近な家族が、老いの苦しみ、病の苦しみと戦っている姿を目の当たりにしており、以前にはできていたことが段々できなくなっていく家族を支える側にいます。時間や心に余裕がある時は、待ったり、優しい言葉かけをしたりできますが、時間や心に余裕が無くなると、支えるのが難しくなり、自己嫌悪に陥ることもあります。
そんな時にお念仏を申しますと、阿弥陀さまの優しい眼差しが身近に感じられます。「衆生仏を礼すれば、仏これを見給う。衆生仏を称うれば、仏これを聞き給う。衆生仏を念ずれば、仏も衆生を念じ給う」と『観無量寿経』を善導大師が注釈した『観経疏』の親縁の解釈から法然上人もお示しです。親縁というのは、阿弥陀さまに対しお念仏をとなえ、敬い、心に念ずれば、阿弥陀さまはその一声一声を受け止めて、お応えしてくださることです。阿弥陀さまも私たちがお念仏を申せば、その様子を見聞きして私たちに慈悲の御心を向けてくださいます。阿弥陀さまは常に慈悲の御心を私たちと同じ熱量で向けてくださっているのです。昼の明るい時の光より、夜の暗闇を照らす光の方がありがたいように、心が苦しい時ほど近くで親しく見守ってくださる阿弥陀さまのありがたみがよくわかります。
お念仏を申すと阿弥陀さまのその優しさを感じて、苦しみで冷えた自分の心がじんわりと温かくなっていきます。苦しみの世界を生きている私たちですが、心がつらいときはどうか阿弥陀さまの慈悲の御心におすがりし、お念仏を申していきましょう。
(岡山県久米郡 淨土院 漆間信宏)