東日本大震災から13年 失われた命に想いを馳せ 供養続ける 宮城・大忍寺
東日本大震災の発生からこの3月11日で丸13年。児童と教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市・大川小学校の震災遺構で、同市の大忍寺・福井孝幸住職(57)は現在でも弔いを続けている。現場で「和顔地蔵」を携えて読経する住職の姿が、なお悲嘆を抱える遺族の心を癒す。(ジャーナリスト 北村敏泰)
福井住職は津波の数日後、まだ父母らがわが子の遺体を探す校舎の廃墟前で供養を始めた。「僧侶としての義務」とその年は大晦日まで毎日。その後も自坊から車で頻繁に訪れ、炎天下も風雨の日も、10年以上が過ぎても毎月命日を中心に足しげく通い続ける。「人にアピールするような事じゃない」と数えてはいないが、供養は積み重なっている。
遺族らが少しは落ち着いてきた七回忌から持参するようになった地蔵像は、福井住職の姿勢に共鳴し毎年の慰霊法要にも参列する仙台市の成覺寺・中村眞英住職(60)が寄贈してくれた。「仏の世界で子どもたちが安らぐように」との願いを込めた柔和な笑顔。高さ45㌢の物と、一回り小さい「ミニ」の物とがあり、どちらも寺から持ち運びやすいように軽量のFRP製だ。
福井住職が校舎前の慰霊碑に2体を据えると、居合わせた父母らが「可愛いね」と表情をほころばせる。「自分たちの子どもを想うのでしょうか」と住職。厳寒にも、「あの日、児童らはもっと寒かったのです」と一心に念仏をとなえる姿に、二児を亡くした近所の男性は「ありがたいことです」と感謝の思いを語った。
大川小は福井住職自身の母校でもあり、遺族には同窓生や先輩・後輩もいる。「悲しんでいる人を支えるのが僧侶の役割です」という住職は、まだ行方不明のわが子の捜索をする両親を手伝ったり、心の内を聴いたりもして来た。今年も「犠牲者合同法要」を寺で執り行う。日頃は震災の話をほとんどしなくなった遺族たちだが、悲しみは消えていない。
福井住職は法話をしつつも、大川小の事については「何を話していいのか難しい」と打ち明ける。「僧侶として非力かも知れませんが、立派な言葉ではなく、お地蔵さまの願いのように、子たちが極楽浄土で喜んでいてほしいと念じることがいいのでしょう」。
能登半島地震の惨状にも決してよそ事とは思えず、同じように失われた多くのいのちに想いを馳せながら、「体が動く限り、供養に通い続けます」と決意を口にした。