修復中の法然上人像から江戸期の墨書 二代将軍秀忠の戒名など33点発見 岩手・大念寺
墨書が納められていた法然上人像
令和3年の春、岩手県大槌町の大念寺(=大萱生修明住職)所蔵の法然上人像から、江戸時代に納められた墨書が発見され、地元で注目を集めている。
この像は寛政6年(1794)、かつて大念寺本堂で行われた寺子屋で庶民の教育に尽力した僧・寂照軒の門弟たちが、師の三十三回忌の追善と、火災で焼失した同寺本堂の仮堂落慶法要に合わせて発願し、造立したもの。
制作したのは、江戸時代に活躍した仏師・安岡良運。良運は江戸に工房を構えていたが、大槌町を拠点とし同寺の寺子屋経営に尽力した豪商の前川善兵衛富能が江戸に店を出していた縁から交流があり、制作にも携わったとされる。
同町の文化財を調査している岩手県立博物館・元学芸員の佐々木勝宏氏が、大槌町内にある三日月神社所蔵の不動明王立像を発見し、その修復を仏像の保護事業を行っていた株式会社京都科学に依頼。修復の過程で、良運作であることが判明し、同じく良運作であることが以前からわかっていた大念寺の法然上人像が経年劣化していたことから、修復を行うことになった。修復過程で仏像の胎内から戒名や位牌が書かれた墨書33点が発見され、なかには徳川二代将軍・秀忠や、徳川家が菩提寺とした大本山増上寺(東京都港区)にゆかりのあると思われる僧侶の戒名もあった。納入の詳細な経緯は不明だが、佐々木氏は、「良運が法然上人像を制作しているとの話を聞いた増上寺周辺の浄土宗寺院の檀信徒たちが、法然上人と結縁するために納入したのではないか」と推測する。
修復を担当した京都科学の那須川善男氏は、安岡良運作と確定している仏像の多くが大槌町にあることを踏まえ、この墨書が江戸と大槌町のつながりを示す重要な史料となる可能性を指摘するとともに、「江戸時代には数多くの仏像が制作されましたが、胎内物の発見例は少なく、造像銘があることも併せて、歴史的にも大変貴重なお像です」とその価値に注目する。
大萱生住職は「発見の知らせを受けた時は大変驚きました。これからも仏像とともに大切に守っていきたいです」と話す。