念仏の功徳分け隔てなく 施餓鬼会
施餓鬼会は、主に5月から8月にかけ、多くの寺院で勤められる法要です。
仏教には、「あらゆる存在は生前の行いによって6種の世界に生まれ変わりを繰り返す(六道輪廻)」という考え方があり、餓鬼の世界はその一つです。
そこに生まれた者は、飲食をしようとするたびに、口に運ぼうとする物が炎と化してしまうため、常に飢えと渇きに苦しむとされています。
その餓鬼に施しをするのが「施餓鬼会」ですが、その起源は『救抜焰口餓鬼陀羅尼経』というお経に説かれています。
―ある日、お釈迦さまの十大弟子の一人である阿難尊者の前に、口から炎をはく焰口餓鬼という餓鬼が現れ、「お前は3日後に死んで餓鬼道に堕ちる。死にたくなければ、全ての餓鬼に飲食を施せ」と告げました。
驚いた阿難はお釈迦さまのもとに行き、どのようにすればいいのかを尋ねます。するとお釈迦さまは阿難に、仏とその教えと教えを信じる人々(三宝)を供養するよう指示して、餓鬼が飲食できるようになる作法と少量のお供えを無限大に増やす呪文(陀羅尼)を教えました。阿難がその通り実践した結果、餓鬼は苦しみから救われ、阿難は命を長らえたと伝えられ、これが施餓鬼会の由来とされます。
では、どうしてお念仏をとなえた人は極楽浄土に往生できるにも関わらず、浄土宗では施餓鬼会を勤めるのでしょうか。これは、お念仏の教えに出会い実践した方々は、必ず往生される一方、お念仏の教えに出会えなかった方々は、餓鬼の世界に堕ちているかもしれないからです。
この法要では、私たちがこのようなすべての方々が往生できるようお念仏をとなえ、その功徳をご先祖さまや大切な方に振り向けるという大切な意味があるのです。
このことから施餓鬼会は、仏教の「自利・利他」の実践(自らの仏道修行により得た功徳を、自分が受け取るとともに、他のためにもその利益をはかる)、すなわち″布施の修行〟ということもできるでしょう。
一般的に「布施」と聞くと、「寺社に金品をお布施する」というイメージが強いかもしれませんが、布施の原語「ダーナ」には、「自分の大切なものを提供する」という意味があります。飲食を与える、人に優しい言葉をかけることなども布施の一つになるのです。
つまり、本来の「布施」の意味は、自分にできる行いや、物を誰かのために施す行いのことで、仏教が大切とする実践の一つになります。
菩提寺の施餓鬼会に参列する際には、ご先祖さまや大切な方への供養だけでなく、有縁無縁の方々へも分け隔てなく心を掛けて、お念仏をとなえましょう。