浄土宗新聞

宗祖 法然上人を偲ぶ 御忌

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4月のうららかな日差しのもと、総本山知恩院、大本山増上寺・金戒光明寺・百萬遍知恩寺・清浄華院・善光寺大本願では、浄土宗を開かれた法然上人を偲び、忌日法要「御忌」が営まれます。

令和4年大本山金戒光明寺の御忌大会(日中法要)の様子。4月23日、24日の日中法要においてのみ、法然上人の御真筆と伝わる「一枚起請文」を拝することができる
令和4年大本山金戒光明寺の御忌大会(日中法要)の様子。4月23日、24日の日中法要においてのみ、法然上人の御真筆と伝わる「一枚起請文」を拝することができる

―智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし―(法然上人御法語「一枚起請文」)


これは、法然上人が、西方極楽浄土へ往生を果たす2日前に、弟子の求めに応じて、浄土宗の肝要を一枚の紙に書き遺されたお言葉です。
法然上人は、「お念仏をとなえれば誰でも極楽浄土に往生できる」との教えを掲げて浄土宗を開き、生涯をかけて人々を導き、建暦2年(1212) 1月25日、80歳で往生され生涯を閉じました。
その教えは、多くの人の心を打ち、上人を慕う人々や弟子たちは、忌日になると、その遺徳を偲んで法要を営むようになりました。やがて忌日法要は「御忌」と呼ばれるようになり、現代においても営まれ続けています。
「御忌」とは、本来、天皇や高僧の命日法要全般に用いられる言葉でしたが、大永4年(1524)、後柏原天皇が知恩院に対し「知恩院は浄土宗の根本道場であり、上人の霊跡であるから、毎年1月に京都とその周辺の浄土宗僧侶を集め、法然上人御忌として7日間法要を勤めよ」と詔勅を下されたのを機に、上人の忌日法要として称されるようになり、江戸時代には“法然上人の忌日法要”として広まりました。
かつてはご命日の1月25日前後に勤められていましたが、明治10年(1877)に知恩院が4月に勤めるようになると、多くの大本山がその時期に営むようになりました。
法然上人御真筆と伝わる「一枚起請文」を法要中に拝することができる(写真)など、総本山や大本山の御忌では法然上人の教えが伝わり続けていることを感じることができます。
ぜひ御忌にご参詣いただき、850年にわたり、色あせることなく現代に受け継がれてきたお念仏の尊いみ教えをお示しくださった上人へ、追慕の気持ちを込め、お念仏をおとなえしましょう。