浄土宗新聞

心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第9回

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浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。

第2章
善導和尚正雑二行を立てて、しかも雑行を捨てて正行に帰するの文

||味わい方

このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は、篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。

前回

【解説】

 今号は、前号で紹介した善導大師の『観無量寿経疏(観経疏)』に対する法然上人の解釈です。上人は第1章で、仏教の教えを聖道門と浄土門に分けたうえで、浄土門に帰入した者の修行の分類として善導大師が整理された正行と雑行を採用されます。

【私釈】

 前に引用した『観経疏』の一節(前号参照)について、私(法然)の解釈を申し述べます。ここでは第1に浄土に往生するための行について、第2に〈正行〉と〈雑行〉がもたらす利益と不利益について説き示されます。
 まず浄土往生の行について、善導大師のお考えによれば、その行の種類は多いとはいえ、大きく2種に分けられます。一つは阿弥陀仏や極楽浄土に親しく、純粋に浄土往生のための行である〈正行〉で、二つは阿弥陀仏や極楽浄土と疎遠で雑多な行である〈雑行〉です。正行は、つぶさに示す場合は5種となり、まとめて示す場合は2種となります。

【解説】

 ここで法然上人は、正行は阿弥陀仏や極楽浄土に直接関係する行であり、雑行はそうでない行であると説き示されます。さらに上人は、正行について5種に開く場合と2種にまとめる場合の〈開合の二義〉があると整理し、順に解説を加えられます。

【私釈】

はじめにつぶさに示す場合の5種とは、①読誦正行、②観察正行、③礼拝正行、④称名正行、⑤讃歎供養正行です。
①読誦正行とは、もっぱら『観無量寿経』などの「浄土三部経」を読誦することです。『観経疏』に「心を集中させ、もっぱら『観無量寿経』『阿弥陀経』『無量寿経』(浄土三部経)を読んだり、覚えて唱えること」と説かれる通りです。
②観察正行とは、もっぱら阿弥陀仏のお姿や極楽浄土の妙なる様相を観察することです。同疏(『観経疏』)に「心を集中させ、もっぱら阿弥陀仏や極楽浄土に思いを向けて、その尊いお姿や浄土の妙なる様相を思い描き、心を静めてありのままに観察し、それを心の内に長く留め置くこと」と説かれる通りです。
③礼拝正行とは、もっぱら阿弥陀仏を礼拝すること(敬意をもって礼すること)です。同疏に「もし礼拝するときには、心を集中させ、もっぱら阿弥陀仏を礼拝すること」と説かれる通りです。
④称名正行とは、もっぱら阿弥陀仏のお名前をとなえることです、同疏に「もし仏や菩薩の名を口にとなえるときには、心を集中させ、もっぱら阿弥陀仏のお名前(名号)をとなえること」と説かれる通りです。
⑤讃歎供養正行とは、もっぱら阿弥陀仏を讃歎し供養することです。同疏に「もし仏の徳を讃えて供養するときには、心を集中させ、もっぱら阿弥陀仏の徳を讃え、阿弥陀仏に供養すること」と説かれる通りです。もし「讃歎」と「供養」とを分けて2種と数えれば六種正行とも名付けられます。ここでは「讃歎」と「供養」を合わせて五種正行と名付けます。

【解説】

 ここで法然上人は、善導大師が説かれたことを丁寧に反復しつつ、五種正行の一々について簡潔に定義されます。阿弥陀仏の極楽浄土への往生を目指す「浄土門」の教えに帰入した以上、阿弥陀仏を主人公として描く「浄土三部経」を読誦し、阿弥陀仏のお姿や極楽浄土の様相を思い描き、阿弥陀仏を礼拝し、阿弥陀仏のお名前をとなえ、阿弥陀仏を讃歎し供養する行をもっぱら修めるのは至極当然のことなのです。

【私釈】

次に、まとめて示す場合の2種とは、〈正定業〉と〈助業〉です。はじめに正定業とは、今述べた五種正行の中、④称名正行のことです。これは『観経疏』に
 「一心專念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼仏願故(心を集中させ、もっぱら阿弥陀仏の名号をとなえ、歩いていても立ち止まっていても、座っていても横になっていても、時間の長い短いにかかわらず、片時も絶え間なく、怠ることなく阿弥陀仏の名号をとなえ続ける称名正行。これを阿弥陀仏が選定され、浄土往生が定まった行の意味で〈正定業〉と名付ける。なぜなら、阿弥陀仏が菩薩であった時代に誓われ、永い修行を経て成し遂げられた願いに素直にしたがった行にほかならないからである)」
と説かれています。
 次に助業とは、④称名正行を除いた4種の正行(①②③⑤)です。同疏に「称名正行以外の礼拝正行や読誦正行は行者の心を称名正行に向かわせる行であり、これを〈助業〉と名付ける」と説かれています。

【解説】

 ここで法然上人は、やはり善導大師の説示を踏まえ、五種正行をさらに正定業と助業に分けられます。本文中、正定業を指す「一心専念…順彼仏願故」という一節。これこそ、上人が称名念仏による浄土往生の確信を抱かれる契機となったもので、「開宗の文」と呼ばれています(Q&A参照)。
 次回は、その「開宗の文」をめぐる上人ご自身による問答、そして五種雑行、さらに正行と雑行がもたらす利益と不利益についての解説と続きます。

Q&A 教えて林田先生

「一心専念…順彼仏願故」という一節が「開宗の文」と呼ばれるのはなぜですか?

承安5年(1175)春3月、法然上人は、『観経疏』に説示されるこの一節によって、お念仏による浄土往生の確信を得られました。特に「順彼仏願故(阿弥陀仏の願に素直にしたがった行に他ならないから)」という末尾の5文字を通し、阿弥陀仏による救いのはたらきが、間違いなく念仏者に直接及ぶことを見いだされ、浄土への信仰を不動のものにされたのです。こうした経緯から、この一節を「開宗の文」と呼んでいます。

  • 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
  • 大正大学仏教学部教授
  • 慶岸寺(神奈川県)住職
  • 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。