浄土宗新聞

心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第10回

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浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。

第2章
善導和尚正雑二行を立てて、しかも雑行を捨てて正行に帰するの文

||味わい方

このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は、篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。

前回

【解説】

 今号も、『観無量寿経疏(観経疏)』についての法然上人による解釈が続きます。まずは、善導大師がお念仏を〈正定業〉と名付けた理由についての問答です。

【私釈】

〈質問します〉阿弥陀仏や極楽浄土に親しく純粋な行である五種正行の中、なぜ、もっぱら阿弥陀仏のお名前をとなえるお念仏(称名念仏)だけを正定業と名付けるのですか。
〈お答えします〉それは、善導大師の『観経疏』に「順彼仏願故(阿弥陀仏がまだ菩薩であった頃、すべての人々を浄土に迎え入れようと誓われ、永い修行を経て成し遂げられた願い〈本願〉に素直にしたがった行に他ならないからである)」と説かれているとおりです。
 善導大師の意図するところは、お念仏こそは、阿弥陀仏が菩薩時代に誓われた浄土往生のための行なので、お念仏をとなえる者は、その誓いのとおりに、必ず極楽浄土への往生が叶うということです。その誓いの意味内容については、次の第3章においてあらためてお伝えします。

【解説】

ここで法然上人は、前号で解説した「開宗の文」の最後の一節「順彼仏願故」の5文字によって、お念仏が〈正定業〉である理由を説明されます。そして、その詳細は第3章「念仏往生本願篇」に譲られます。実は、法然上人は『選択集』の第1章と第2章を、釈尊が説かれたすべての教えのうち、私たち凡夫が自然とお念仏一行へ導かれるような構成にされています。一方で次の第3章などは、仏さまが説かれたお念仏の素晴らしさを述べる章にされています。阿弥陀仏の本願の意味内容について後述する判断を下されたのは、上人がこのような構造に考慮された結果なのです。

【私釈】

次に、阿弥陀仏や極楽浄土に疎く雑多な行である雑行とは、善導大師の『観経疏』の文に「正定業と助業(行者を称名正行に向かわせる4種の正行)を除いた、他の諸々の善行をすべて雑行と名付ける」と説かれているとおりです。善導大師の意図するところは、雑行は、それこそ無数にあるので細かくは述べられない、ということです。しかし今ここでは、5種の正行に相対する行として、仮に5種の雑行を明らかにしてみましょう。5種とは、一つには読誦雑行、二つには観察雑行、三つには礼拝雑行、四つには称名雑行、五つには讃歎供養雑行です。

【解説】

続けて法然上人は、〈雑行〉についての解説をされます。文中の指摘にあるように、仏道修行は無数にあるので、あえて上人は、〈五種正行〉に対して〈五種雑行〉という概念を設けて、雑行を分かりやすく説明しようとされるのです。

【私釈】

①読誦雑行とは、もっぱら浄土への往生を説く
『観無量寿経』など「浄土三部経」以外の、大乗仏教や小乗仏教、あるいは、顕教(釈尊が言語を通じて明らかに説き示された教え)や密教(大日如来が自らのさとりの境地のなかで密かに説き示された教え)の経典など、もろもろの経典を心に刻み付けて忘れず、見て読んだり、覚えて唱えることです。
②観察雑行とは、阿弥陀仏のお姿や極楽浄土の妙なる様相以外の、大乗仏教や小乗仏教、あるいは顕教や密教の典籍に説かれている、姿形を認識することができる事象や、その背後にあるとされる真理を心を静めてありのままに観察することです。
③礼拝雑行とは、阿弥陀仏以外のあらゆる仏や菩薩、あるいは天界の神々を礼拝し恭しく敬うことです。
④称名雑行とは、阿弥陀仏以外のあらゆる仏や菩薩、あるいは天界の神々のお名前をとなえることです。
⑤讃歎供養雑行とは、阿弥陀仏以外のあらゆる仏や菩薩、あるいは、天界の神々に向かって、その徳を讃え、供養を施すことです。

 これら五種雑行のほか、施しを実践することや戒律を守ることなど、数え切れないほど多くの行がありますが、これらをみな雑行という言葉のなかにおさめるのです。

【解説】

 阿弥陀仏や極楽浄土に親しく純粋な行である〈五種正行〉以外の行は、なぜそれらに疎く雑多な〈雑行〉となるのでしょうか。
 たしかに、読誦正行で読誦する「浄土三部経」は阿弥陀仏やその浄土である極楽浄土について説かれていますから、読誦すればするほど阿弥陀仏に帰依し、おのずと極楽浄土への往生を願う心が育まれていきます。
 一方、それ以外の経典を読誦する読誦雑行の場合はどうでしょう。例えば、『薬師経』には薬師如来やその浄土である瑠璃光浄土、『大日経』には大日如来や密厳浄土、『華厳経』には毘盧舎那仏や蓮華蔵世界が中心に描かれるので、私たちの心はそれらの仏や浄土に向かってしまいます。ちなみに薬師如来の瑠璃光浄土は東の方角にありますから、西にある極楽浄土に背を向けてしまう結果を招きかねません。
 あるいは称名雑行の場合、例えば、真言宗の方のように「南無大師遍照金剛」と弘法大師のお名前をとなえ、また日蓮宗の方のように「南無妙法蓮華経」とお題目をとなえれば、私たちの心は弘法大師や『法華経』に向かうことになり、阿弥陀仏や極楽浄土と疎遠になってしまいます。
 観察雑行も、礼拝雑行も、讃歎供養雑行も、その流れはまったく同じです。ですから、常に私たちは五種正行を修めて、阿弥陀仏や極楽浄土に心を寄せ続けることが大切なのです。
 次回は、法然上人が創唱された、〈正行〉と〈雑行〉とがもたらす5種の利益と不利益を判じる「五番相対」の解説が始まります。

  • 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
  • 大正大学仏教学部教授
  • 慶岸寺(神奈川県)住職
  • 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。

「法然さまの『選択集』」は、『浄土宗新聞』紙版で連載中。
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