浄土宗新聞

心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第13回

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浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)。「極楽往生を遂げるためには、何より〝南無阿弥陀仏〟とお念仏をとなえること」とする浄土宗の教えを、宗祖法然上人(1133ー1212)が微に入り細に入り説き示された「念仏指南の書」ともいえるものです。大正大学教授・林田康順先生に解説していただきます。

第2章
善導和尚正雑二行を立てて、しかも雑行を捨てて正行に帰するの文

||味わい方

このコーナーでは、『選択集』の現代語訳と林田先生による解説を掲載しています。
現代語訳部分は、篇目(章題)、引文(内容の根拠となる文章の提示)、私釈(引文に対する法然上人の解釈)で構成されています。

前回

 今号も、〈正行〉と〈雑行〉とがもたらす利益と不利益をめぐる五つの比較(五番相対)についての説明が続きます。その最後、五つ目の純雑対です。

【私釈】

第5に純雑対です。まず〈純〉とは、正行(正定業と助業)は、純粋に極楽浄土に向かう行ということです。〈雑〉とは、正行以外の雑多な行(雑行)は、純粋に極楽浄土に向かう行ではないということです。なぜなら雑行は、人間の世界や天人の世界へ生まれ変わる、煩悩を断ち切った境地を目指す、極楽浄土以外の仏の国へ往生する、といった、阿弥陀さまの極楽浄土へ往生する以外の種々雑多な目的に通じているものだからです。それ故に、〈雑〉と名づけるのです。だからこそ極楽浄土への往生を目指す者は、雑行を捨てて正行を修めるべきなのです。

【解説】

法然上人は正行と雑行を、純粋に極楽浄土への往生に向かう行なのか、それ以外の種々雑多なことを目的とする行なのか、という基準で分類されます。ここで、法然上人のお考えに沿って、極楽浄土への往生について説いていない経典を読む「読誦雑行」を例にあげて解説します。
 たとえば、『弥勒下生経』というお経があります。これには、現在、兜率天という世界にいる弥勒という菩薩が、釈尊が亡くなってから56億7千万年後に私たちのこの世界にやってきて、仏となり、救済してくれると説かれています。このお経には、阿弥陀仏については書かれていませんから、読誦した人は阿弥陀仏の浄土を目指さず、弥勒菩薩が仏になるまで、この世界にとどまることを願うことになります。このように「雑行」を修すことは、純粋に極楽浄土を目指すことにつながらないのです。

【私釈】

〈質問します〉このように〈純〉と〈雑〉に分類する方法について、経典やその注釈書などのなかにその根拠はあるのですか。
〈お答えします〉お釈迦さまの説いた教えをまとめた「経」、修行者の生活規範「律」、それらの注釈書「論」をまとめた「三蔵」を〈純〉と〈雑〉に分けた先例は少なくありません。
 いわゆる大乗仏教では、その教えを八つに分類(八蔵)するなか、系統立てることのできない種々雑多な教えを集めて雑蔵と分類しています。これによって他の七蔵は同じ系統のみが集まった〈純〉、残りの一蔵は雑多な経典が入り混じった〈雑〉となることがわかります。
 また小乗といわれる仏教では、その教えを4種類に分けています。修行者の生活規範を20に分類した二十犍度というものもあります。さらに、経典の注釈書を八つに分けて八犍度といい、これにより、あらゆるものの本性と現象、関係性を明らかにしています。ほかにも、高僧の生涯について記した『続高僧伝』や『宋高僧伝』でも、伝記を10種に分けて、僧侶の生涯と徳を説明しています。さらには、仏教百科事典ともいうべき『大乗義章』という書物も仏教の教えの系統を五つに分類しています。
 これらはいずれも、そのうち一つを雑多なものが含まれる〈雑〉とし、他の同じ系統のものを集めて〈純〉としています。
 また、天台宗の正統な流れを明らかにするために最澄が撰述した『山家仏法血脈譜』でも、教えの受け継がれる系統を三つに分けるなか、同様に一つを〈雑〉とし、他の二つを〈純〉としています。
 このように〈純〉と〈雑〉に分類する例は実に多いのですが、ここでは簡略にわずかな例を挙げるに留めます。これによって、純雑の分類は、その教えに応じて意味が一様ではないことがわかります。
 ここまで、善導大師の説き示された意図を推し量り、先例に照らし合わせ、浄土往生の行についても純雑対があることを明らかにしました。
 なお、このように純雑に分類することは、仏教の典籍に限ったものではありません。儒教や道教など、仏教以外の典籍にも、その例は実に多くあります。繁雑になりますので、ここで提示することは控えます。

【解説】

こうした純雑の分類は私たちの身近にも多くあります。例えば、和歌を分類するとき、四季・恋などの分類に属さないものを集めた雑歌。米や麦以外の豆やそば・きび・あわなどの穀類を総称した雑穀など。たしかに仏教に限らずその例は多くあり過ぎて、法然上人がおっしゃるように煩雑になりそうです。
 以上、〈正行〉と〈雑行〉とがもたらす利益と不利益について上人が創唱された、五番相対の解説でした。
 次回は、諸師による浄土往生のための行の分類、そして善導大師の『往生礼讃』の引用です。

Q&A 教えて林田先生

今回、本文の中に「三蔵」や「八蔵」というお経の分類が出てきましたが、なぜ「蔵」ということばを使うのでしょうか?

「蔵」は、サンスクリット語で「(容器としての)かご」を意味する「ピタカ」を中国で翻訳した言葉です。そこから、「かご」に収める内容(ここでは、お釈迦さまの教えなど)も含めて「蔵」と呼ぶようになりました。
 「三蔵」と聞くと、孫悟空が大活躍する『西遊記』に登場する三蔵法師をイメージする方も多いと思います。三蔵法師とは経・律・論の三つの蔵に精通した人を讃歎する尊称で、実際に中国からインドへ経典を求める旅に出た唐時代の玄奘という僧侶がモデルになっています。

  • 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
  • 大正大学仏教学部教授
  • 慶岸寺(神奈川県)住職
  • 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。