心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第35回
浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)を大正大学教授・林田康順先生が解説。
第6章 末法万年の後に余行ことごとく滅し、特り念仏を留むるの文②
お念仏こそ、私たちともっともご縁が深い教え
【私釈】
『無量寿経』の「法滅の時代から百年間この経だけを残す」という一文には多くの意味がありますが、それらを簡略にまとめると四つの比較ができます。
第1に、この身このままでさとりを目指す聖道門の教えと、極楽浄土へ往生してそこでさとりを目指す浄土門の教え。
第2に、あらゆる方角(十方)に存在する浄土への往生を目指す教えと、西方極楽浄土への往生を目指す教え。
第3に、弥勒菩薩のおられる兜率天に生まれること(上生)を目指す教えと、阿弥陀仏のおられる西方極楽浄土への往生を目指す教え。
第4に、お念仏をとなえて浄土への往生を目指す教えと、その他のさまざまな行を修めて浄土への往生を目指す教え。
以上をめぐり、どちらがこの世に最後までとどまり続ける教えで、どちらがこの世から先に滅びてしまう教えであるかを明らかにします。
第1に聖道門の教えと浄土門の教えについて。まず聖道門を説く種々の経典は先に滅んでしまうため、『無量寿経』に「経道滅尽(種々の経典が滅び、仏道実践が尽きる)」と示されます。一方、浄土門を説く『無量寿経』は唯一とどまり続けるので、『無量寿経』に「止住百歳(この世に百年間とどめ置く)」と示されているのです。したがって聖道門の教えは、仏教の教えが衰える末法に生きる劣った資質や能力の人々と縁が浅く薄いのに対し、浄土門の教えは末法に生きる人々との縁が深く濃いことを知るべきです。
第2に、十方の浄土へ往生を目指す教えと西方の極楽浄土へ往生を目指す教えについて。まず十方の浄土への往生を説く種々の経典は先に滅んでしまうため、「経道滅尽」と示されています。一方、極楽浄土への往生を説く『無量寿経』は唯一とどまり続けるので、「止住百歳」と示されているのです。したがって十方の浄土へ往生を目指す教えは、末法に生きる人々との縁が浅く薄いのに対し、西方の極楽浄土へ往生を目指す教えは末法に生きる人々との縁が深く濃いことを知るべきです。
第3に、弥勒菩薩のおられる兜率天への上生を目指す教えと阿弥陀仏のおられる西方極楽浄土への往生を目指す教えについて。まず『弥勒上生経』や『心地観経』など、兜率天への上生を説く種々の経典は先に滅んでしまうので、「経道滅尽」と示されます。一方、極楽浄土への往生を説く『無量寿経』は唯一とどまり続けるため、「止住百歳」と示されているのです。したがって兜率天は私たちが住む娑婆世界と距離が近いといっても、末法に生きる人々との縁が浅いのに対し、極楽浄土は娑婆世界と距離が遠いといっても、末法に生きる人々との縁が深いことを知るべきです。
第4に、お念仏をとなえて浄土への往生を目指す教えと諸行を修めて浄土への往生を目指す教えについて。まず諸行による浄土往生を説く種々の経典は先に滅んでしまうため、「経道滅尽」と示されているのです。一方、お念仏による浄土往生を説く『無量寿経』は唯一とどまり続けるので、「止住百歳」と示されているのです。したがって諸行によって浄土往生を目指す教えは、末法に生きる人々との縁がはなはだ浅いのに対し、お念仏によって浄土往生を目指す教えは、末法に生きる人々との縁が実に深いことを知るべきです。
そればかりか、諸行を修めて浄土を目指す教えと縁を結んで往生する人は少ないのに対し、お念仏をとなえて浄土を目指す教えと縁を結んで往生する人は多いのです。また、諸行を修めて往生を目指す教えは、末法の一万年間で効力が尽きてしまうのに対し、お念仏をとなえて往生を目指す教えは、はるか遠い先の教えがすべてなくなる法滅の時代を迎えてもなお百年間にわたって世界を潤して、人々に救いの働きを及ぼし続けるのです。
【林田先生の解説】
基づいて、すべての仏法が滅びる法滅の時代になっても、釈尊が念仏一行をとどめ残されるので、その広大な利益は時代を超えて貫かれることが解き明かされました。今回、法然上人は、①聖道門・浄土門、②十方浄土への往生・西方浄土への往生、③兜率天への上生・極楽浄土への往生、④諸行による往生・念仏による往生という4種の相対をあげて、どちらの教えが先に滅び、どちらの教えが最後までとどまるのかを順に明らかにされますが、それは次のような理由があるからです。
①は、『選択集』第1章で述べられたとおり、聖道門の教えは深遠であるものの、仏法が衰える末法に生きる劣った資質や能力の人々には実践できないので縁の遠いものとなる一方、浄土門の教えは末法を生きる人々にも容易に実践できるので、縁の深いものとなることに基づきます。
②は、道綽禅師の『安楽集』などに語られる、あらゆる世界に広がる浄土(十方浄土)への往生と西方浄土への往生の優劣に基づくものです。『安楽集』では、❶釈尊が十方浄土より西方浄土への往生を勧めていること、❷法蔵菩薩(阿弥陀仏の菩薩時代の名)が十方浄土を選び捨て新たに西方浄土を建立されたこと、❸浄土への往生を願いあらゆる浄土の様相を見た韋提希夫人が十方浄土を望まず西方浄土を望まれたことの3点を通じ、西方浄土への往生を勝れた教えとして勧められています。
③は、懐感禅師の『群疑論』などに語られる、兜率天への上生と極楽浄土への往生の優劣に基づくものです。『群疑論』には、菩薩(弥勒菩薩)と仏(阿弥陀仏)というその世界の教主の異なり、穢土(兜率天)と浄土(極楽)という場所の異なりなど12の異なりを通じて、極楽浄土への往生の方が勝れた教えだと勧められています。
④は、『選択集』第3章に説かれるように、お念仏以外の諸行は劣った難しい行として阿弥陀仏が選び捨てられたので衆生には縁の浅いものとなる一方、お念仏は勝れて易しい行として阿弥陀仏が選び取って浄土往生の行として本願に定められたので、すべての衆生に縁の深いものであることに基づきます。
法然上人は、こうした一連の考察の結果、『無量寿経』に説き示される浄土門、西方極楽浄土、念仏による往生は私たちと縁が深く、濃く、多いので最後までとどまり続けるのに対し、『無量寿経』に説き示されない聖道門、十方浄土、兜率天、諸行による往生は私たちとの縁が浅く、薄く、少ないので先に滅びてしまうと明らかにされたのです(左図)。

- 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
- 大正大学仏教学部教授
- 慶岸寺(神奈川県)住職
- 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。