心ゆくまで味わう 法然さまの『選択集』 第38回
浄土宗で〝第一の聖典〟と位置づけられる書物『選択本願念仏集』(『選択集』)を大正大学教授・林田康順先生が解説。
第7章 弥陀の光明余行の者を照らさず、ただ念仏の行者を摂取したもうの文②
阿弥陀仏のお力が強く 念仏者に働く縁―増上縁
(※善導大師『観無量寿経疏』引用の続き)
「第二に阿弥陀仏と念仏者とが近しい関係を結ぶという近縁を明らかにする。
命ある者が阿弥陀仏にお会いしたいと願うならば、即座に阿弥陀仏はその望みに応じて、この者の眼前に姿を現される。それ故、近縁と名づけるのである。
第三に阿弥陀仏と念仏者との間に、阿弥陀仏の具えるお力が念仏行者に向けて増大して強く働く関係を結ぶ増上縁を明らかにする。
命ある者が阿弥陀仏の名号をとなえれば、即座に阿弥陀仏は、はるかな過去世からその者が積み重ね続けてきた罪によって、これから先、さらなる輪廻を繰り返すという報いを除き、その者の命が終わろうとする時、阿弥陀仏は極楽浄土の多くの聖者と共に自ら迎えに来て、浄土に救い導いてくださる。
その際、念仏者を迷いの世界につなぎとどめようとする諸々のよこしまな働きによって、この縁が妨げられることはない。それ故、増上縁と名づけるのである。
念仏以外のさまざまな行も、善行と名付けられるものの、その功徳は念仏とはまったく比べものにならない。それ故、実に多くの経典に幅広く念仏の勝れた功徳が讃えられている。
まず『無量寿経』には、阿弥陀仏がお誓いになった四十八の本願の中、第十八・念仏往生願のように、ただひたすら阿弥陀仏の名号をとなえれば、必ず極楽浄土に往生することがかなうと説き明かされている。 そして『阿弥陀経』の中には、わずか1日であったとしても、あるいは7日であったとしても、ひたすら阿弥陀仏の名号をとなえれば極楽浄土への往生がかなうと説かれている。
また『阿弥陀経』には、あらゆる世界にいらっしゃる無数の諸仏が、念仏によって浄土往生がかなうことは決して虚言ではなく、真実の教えであると証明されている。
そしてこの『観無量寿経』において、静めた心で修める行(定善)や散り乱れる心でも修められる行(散善)が説かれる文の中にも、ただひたすら阿弥陀仏の名号をとなえれば、必ず浄土往生がかなうと、はっきり書かれている。
こうした念仏の勝れた功徳が説かれる例は、決して一つではない。阿弥陀仏の光明が決してお見捨てにならない、ただひたすら南無阿弥陀仏ととなえる念仏三昧について広く明らかにし終えた」と。
善導大師の著書『観念法門』には、次のように述べられています。
「前に取り上げた『観無量寿経』に説かれているように、阿弥陀仏のお身体に具わった数多くの勝れた特徴〈相好〉から放たれる光明(色光)は、その一つひとつが遍く行き渡ってあらゆる方角に広がるすべての世界を照らし出す。そして、ただひたすら阿弥陀仏の名号をとなえる者のみを選び取り、仏の慈悲の心に基づいた光明の働き(心光)は、常にこの者を照らし、救い摂ってお守りになり、決してお見捨てになることはない。
一方、念仏以外の種々雑多な行を修める者を阿弥陀仏の光明が照らし出して救い摂られることは経典のなかで論じられていない」と。
【解説】
前回は、善導大師が『観無量寿経疏』で述べられた阿弥陀仏と念仏者の間に結ばれる関係である三縁の中、阿弥陀仏と念仏者が親しい関係を結ぶ「親縁」についてお伝えしました。今回は近縁と増上縁です。
近縁について善導大師は、阿弥陀仏が私たちの望みに応じて眼前に姿を現してくださる、とされました。
仏や浄土を仰ぎ見る宗教体験を見仏といい、法然上人は「この十余年、常に極楽浄土の荘厳をはじめ、仏や菩薩を拝見してきました」(『御臨終日記』)と述べられています。もちろん、見仏の有無によって往生が決まるわけではなく、浄土往生を決定付けるのはあくまでもお念仏をとなえることです。しかし見仏は一概に否定されるものではなく、お念仏の相続により、求めずして自ずと得られるもの(不求自得)と位置づけられます。
また、増上縁について善導大師は、阿弥陀仏が念仏者の罪を滅して浄土往生をかなえてくださる、とされました。
仏教では、私たちは煩悩に基づいた種々の行為の報いとして地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六つの迷いの世界を巡るという六道輪廻を説き、仏道修行の実践を通じて、煩悩を断ち、そこから離れ出るべきことを教えています。しかし、私たち凡夫は、自身の力で六道輪廻を離れ出ることなど到底できません。だからこそ、お念仏をとなえて、六道を超えた世界である極楽浄土に往生することを目指すのです。
ここで問題となるのが、これまで私たちが積み重ねて来た悪しき行為の報い、六道輪廻に引きとどめようとする働きです。これについて法然上人は「お念仏のひと声ごとに、これから先、八十億劫というとてつもない永い期間にわたって六道輪廻を経巡らなければならない罪を滅して浄土往生がかなえられます」(『正如房へつかわす御文』)と、お念仏による滅罪とは、過去に犯した罪をなかったことにするわけではなく、これから受けるべき罪の報いを阿弥陀仏が働かないようにして、その結果、私たちの浄土往生をかなえてくださる、という尊い智見をお示しです。
三縁の説示に続けて善導大師は、阿弥陀仏と三縁を結ぶ行であるお念仏の功徳が、他の行と比較にならないほど勝れていることをあらためて訴え、阿弥陀仏の光明が決して念仏者をお見捨てにならないという『観無量寿経』の経文の解釈を終えられます。
続けて法然上人は、同じく善導大師の『観念法門』を引用されます。本書では、念仏者が阿弥陀仏等のお力によって得られる次の5種の縁(五種増上縁)について述べられます。
①滅罪増上縁―阿弥陀仏が念仏者の罪の報いを滅してくださる縁
②護念増上縁―阿弥陀仏等が念仏者を護り念じてくださる縁
③見仏増上縁―阿弥陀仏等が念仏者の眼前に姿を現してくださる縁
④摂生増上縁―阿弥陀仏が念仏者の浄土往生をかなえてくださる縁
⑤証生増上縁―多くの仏が念仏者の浄土往生を証明してくださる縁
ここで法然上人が引用されたのは、②の一節です。なお上人は、『観無量寿経疏』の三縁と『観念法門』の五種増上縁の内容が必ずしも同じでないことを踏まえ、その引用に際して、それぞれの増上縁の名称を明示されません。
続いて上人による解釈「私釈」が始まります。

- 林田 康順(はやしだ こうじゅん)
- 大正大学仏教学部教授
- 慶岸寺(神奈川県)住職
- 法然浄土教、浄土宗学が専門。『浄土宗の常識』(共著、朱鷺書房)、『法然と極楽浄土』(青春新書)ほか、著書・論文など多数。