連載 仏教と動物 第6回 兎にまつわるお話
イラスト 木谷佳子
お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教典籍(仏典)には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。この連載では『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
第6回目は、かわいらしく身近な動物「兎」を取りあげます。
重んぜられる動物
誰もが、「月に兎が住んでいて餅つきをしている」という言い伝えを聞いたことがあると思いますが、仏教の中で伝えられている説話のなかでも、悲しくも尊い月の兎の物語が伝えられています。
この物語は、お釈迦さまの前生物語のなかで特に広く知られているものです。『六度集経』など、多くの経典で見られ、日本で編纂された『今昔物語集』にも取り入られています。
ここで、『ジャータカ』にある兎にまつわる有名な説話を紹介します。
ウサギの布施
昔、ある深い森に賢いウサギが住んでいました。ウサギには、サルと山犬とカワウソの友達がいて一緒に仲良く暮らしていました。4匹は賢者として他の動物から尊敬されていました。
ある時、ウサギは明日が布施をする日だと思い出し、他の3匹に言いました。
「明日は食を請う人に施しをする日だよ。しっかりと教えを守って施しをすれば、きっと良いことがあるよ。食を請う人が来たら、みんな自分の食べ物を分けてやるんだよ」
「はい、よく分かりました」一同は答えました。
翌朝、カワウソがガンジス河の岸に行くと、漁師が捕った赤魚が砂の中に隠されていました。カワウソは、魚のにおいが気になって岸辺を歩き回っているうちに埋まっている魚を見つけました。
「この魚はだれのですか」と三度呼びかけましたが、誰も返事をしなかったので、自分の家に持ち帰りました。
山犬も獲物を探し歩いているうちに、田んぼの中の番人の小屋に、二串の肉と大トカゲと牛乳の入った壺を見つけました。「これはだれのですか」と三度声をかけましたが、誰も返事をしなかったので、自分の家に持ち帰りました。
サルも、森の中でマンゴーを見つけ、自分の家に持ち帰りました。
ウサギは森中をかけまわってみましたが何も見つけられませんでした。
翌日になりました。帝釈天がバラモンの姿に身を変え、カワウソのところへ行きました。バラモンがカワウソに施しを求めると、カワウソは詩を唱えました。
「ガンジス河の 赤魚 ここにあります バラモンよ わたしの布施です 召し上がれ」
バラモンは魚に手をつけずに次に山犬のところへ行きました。バラモンが山犬に施しを求めると、山犬は詩を唱えました。
「畑の番を する人の 食べ残したる 肉などが わたしのものに なりました これらの食物 召し上がれ」
バラモンは肉にも牛乳にも手をつけずに、サルのところへ行きました。バラモンがサルに施しを求めると、サルは詩を唱えました。
「よく熟したる マンゴーと 冷たい水が われのもの バラモンさまよ 遠慮なく このマンゴーを 召し上がれ」
バラモンはマンゴーに手をつけずにウサギのところへ行きました。バラモンがウサギに施しを求めると、ウサギは言いました。
「どうか薪を集め火を起こして下さい。わたしはその火の中に飛び込みます。わたしの体が焼けたら、その肉を食べて、修行に励んで下さい」
そして、ウサギは詩を唱えました。
「このわたしには 胡麻がない 豆もなければ 米もない 火に飛び込んで 焼かれたる ウサギの肉を召し上がれ」
帝釈天はウサギの言葉を聞き、神通力によって薪火を作り出しました。ウサギは「もし、わたしの毛の中に、ノミやシラミなど、生き物がいたらそれを殺してはならない」と念じて、3回体を振り、薪火の中に身を投じました。
ところが炎は、ウサギの体の毛穴一つも焼くことはありませんでした。
「バラモンさま。あなたの起こした火は、まるで雪のように冷たい。いったいどうしたことでしょう」
「ウサギよ。わたしはただのバラモンではない。帝釈天である。おまえの布施の心を試すために天界から降りてきたのだ」
「あなたばかりでなくどんな人がわたしの布施の心を試そうとも、布施をいやがる気持ちを見つけることはできないでしょう」
「おまえの優れた行いが永遠に忘れられないように」と言って、帝釈天は山を圧搾して汁を搾り取り、丸い月面にウサギの姿を描いて、ウサギに別れを告げ天界に帰って行きました。
その後、4匹の動物は、仲良く暮らし、生活規範をよく守り、その行動にふさわしい果報を得る身となりました。
布施のこころ
お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、幾度となく善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。
このお話に登場するウサギは、お釈迦さま、カワウソ、山犬、サルは、それぞれ十大弟子の阿難尊者、目連尊者、舎利弗尊者の前世の姿です。
帝釈天は、兎のやさしく尊い本心に深く感動し、その徳を永久に銘記するため、月に兎の姿を描きしるしました。布施行の大きな功徳を表しています。
【コラム】兎にまつわる熟語 兎角亀毛(とかくきもう)
夏目漱石の小説『草枕』の冒頭の一節に、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」とあるように、日本には「とかく」という言葉があります。
この言葉に「兎角」という漢字を用いるのは、いわゆる当て字で、今はあまり使われていません。
仏典の中でも、「亀毛」とともに「兎角亀毛」という言葉として、しばしば用いられています。
兎の角も亀の甲羅の毛も本来ありえないものであることから、それをたとえとして、この世は確固たるものは実在しない「空」であることを説明しようとしています。また、あらゆるものに実体を求めても、その実体は得られないということを説明しようとして、「兎角亀毛の如し。ただ名のみあって実なし」(※『大智度論』巻一二)のようにたとえとして述べられることもあります。
このような仏の教え「一切皆空」のたとえとして、この言葉をとらえれば、あれこれと想い悩むことはなくなり、人の世ももっと住みやすくなるかもしれません。
※『大智度論』=大乗仏教中観派の祖・龍樹(2世紀に生まれたインド仏教の僧)による『摩訶般若波羅蜜経』の注釈書として著した論書