浄土宗新聞

連載 仏教と動物 第7回 孔雀にまつわるお話

イラスト 木谷佳子

お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教典籍(仏典)には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。この連載では『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
第7回目は、貴賓が感じられる動物「()()」を取りあげます。

神々しい動物

孔雀が羽をひろげた時の姿は、この世のものとも思えないほど崇高で、そこには、どこか神秘的な美しさがあります。

()()()()』には、極楽浄土にも孔雀がいて、荘厳さを添えていると述べられているなど、多くの経典に見られます。

仏教の中で伝えられている説話のなかでも、お釈迦さまが過去世において金色の孔雀だった時のことが述べられています。

ここで、『ジャータカ』にある、その孔雀にまつわる説話を紹介します。

金色のクジャク

昔、生まれながらに金色に輝くクジャクが、バーラーナシーの都から4つ目の山脈、ダンダカ金山の山奥に住んでいました。クジャクはそこで、毎朝太陽がのぼると自分の身を守るために、太陽()()と仏礼讃の呪文を唱えてから、餌をあさりに出かけていました。一日が終わり帰ってくると、また再びその呪文を唱えることを日課としていました。

ある晩、王妃の夢枕に金色のクジャクが現れました。夢の中でクジャクは、王妃に尊い教えを説いていました。明くる朝、法を説く金色のクジャクを夢で見たことを王さまに告げました。

「金色のクジャクを探し出してください。どうしても金色のクジャクに、もう一度法を説いてもらいたいのです」

王さまはそれを聞いて、腕利きの猟師に命じて金色のクジャクを生け捕りにさせようとしました。

猟師は金色のクジャクがダンダカ金山にいるという噂をもとに捕まえようとして7年の間、山中に入って努力しましたが、捕まえることはできず、谷底に落ちて死んでしまいました。

猟師が死んだと聞いてがっかりした王妃は、金色のクジャクから法を聞く望みを果たせずに間もなく死んでしまいました。

王さまはクジャクのせいで王妃が死んだと怒り、金の板に「ダンダカ金山に住む金色のクジャクの肉を食べる者は、不老不死となる」と刻ませ箱の中にしまって、代々伝えさせました。しばらくして王さまも王妃の後を追いました。

その後、その板の()()を見た六代の王さまたちは、次々と不老不死になりたいと、それぞれの猟師の子孫に命じて金色のクジャクを捕まえようとしました。しかし、どの王さまも捕まえることができませんでした。

ところが、七代目の王さまの命令を受けた猟師はある特別な方法で、金色のクジャクを捕まえようと試みました。雌のクジャクを飼い慣らして、金色のクジャクのそばに連れていき、そこで雌を鳴かせました。その鳴き声に愛欲の思いをおこした金色のクジャクは、朝夕の呪文を唱えるのをすっかり忘れて、雌のところに飛んで行き、猟師の罠にかかってしまいました。

王さまのもとに連れてこられた金色のクジャクがたずねました。

「王よ。どうして私を捕まえたのか」

「初代の王がお前の肉を食べると不老不死になると遺言したからだ」

「王よ。そんなことをすれば、私は死んでしまうだろう」

「そういうことになる」

「私が死ぬのに、その肉を食べたものが果たして不老不死になるだろうか」

「おまえは世にも珍しい金色のクジャクだ。その肉を食べれば不老不死になるにきまっている」

「王よ。私はいわれなくして金色になったのではない。昔、私は()()()()としてこの都に住み、自らも五戒を守り、人々にも守らせた。そのため死ぬと天界に生まれ変わり、そこでの寿命が尽きると、たった一つの不善のためにクジャクに生まれたが、戒を守った功徳により金色になったのである」

「お前が転輪聖王だったなんて、信じることができるものか。何か証拠があるとでもいうのか」

「転輪聖王であったとき私は宝石でできた車で空中を走りまわっていた。その車が王宮の蓮池のなかに埋まっている」

王さまが、家来たちに命じて捜させたところ、池の底の泥に埋もれていたその車を見つけ出しました。

それを見た王さまはその場にひれ伏し、これまでのことを恥じ入って、深々と頭を下げ言いました。

「この国は、あなたさまに捧げます。わたしを家来にしてください」

金色のクジャクは城に滞在して法を説きました。王さまも家来も謹んでその教えを受けました。

「王よ、法を忘れてはなりませんぞ」と言い残し、金色のクジャクは数日後、空高く飛んでダンダカ金山へ去っていきました。

功徳と法の大切さ

お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、幾度となく善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。

このお話に登場する金色の孔雀はお釈迦さま、王さまは十大弟子の()()()()の前世の姿です。

転輪聖王とは、武力を用いず、ただ正義のみによって全世界を統治するという理想的帝王のことです。お釈迦さまは王の時の功績によって金色の孔雀に生まれ変わり、人々に尊い法を説きました。功徳と法(教え)の大切さを表しています。


【コラム】あらゆる苦難を除く 孔雀明王

孔雀明王像(東京国立博物館蔵)出典:ColBase

「金色のクジャク」の説話は、後の密教経典『()()()()()()()()』などのもとになるものと言われています。
この経典の中で、孔雀は、功徳を持つ仏母大孔雀明王として現れ、「どんなものでも心の中で孔雀明王を憶念すれば、恐怖・怨敵など一切の苦厄を除いてくれる。さらにこの経を()()、受持する者は、必ず安楽となるであろう」と説かれています。
インドの国鳥である孔雀は、毒虫や毒蛇を食べることから、毒を除く力があると信じられてきました。また、毒蛇は()()にたとえられ、毒蛇を食べる孔雀は、煩悩を食い尽くして人々を守る存在だと考えられるようになりました。神格化された孔雀は、その後、仏教に取り入れられて孔雀明王が誕生しました。こうした背景から、病気()()や延命などの()()があるとされます。
また一方、孔雀は雨季を知らせる鳥とも言われていることから、孔雀明王は、雨乞いの本尊としてまつられることもあります。