浄土宗新聞

連載 仏教と動物 第8回 魚にまつわるお話 

(イラスト 木谷佳子)

お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教典籍(仏典)には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。この連載では『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
第8回目は、私たちの生活にも身近な動物「魚」を取りあげます。

煩悩・解脱のイメージ

仏教、とりわけ『スッタニパータ』や『ダンマパダ』といった、成立が古いと考えられる経典では、魚はしばしば、()()()()()えに用いられます。

「煩悩」は、サンスクリット語でクレーシャ、パーリ語でキレーサを原語とし、本来、「苦しめるもの」「汚すもの」を意味します。

煩悩によって私たちが苦しめられている様を示す喩えとして、「網にかかった魚」「小水の魚」「()の上の魚」などの言葉があげられます。これに対して、網の目を破って魚が抜け出す様が、煩悩を脱した解脱の喩えに用いられます。

また、仏教やインドでは、魚はめでたいもの、縁起のよいものであるとされています。インド各地や奈良の薬師寺などにある仏さまの足の裏の模様を描いた「()()()」には、人差し指の付け根あたりに、魚が2匹並んだ姿が描かれています。

仏教の中で伝えられている説話のなかでも、お釈迦さまが魚の王として生まれていた時のことが述べられています。

ここで、『ジャータカ』にあるその魚にまつわる説話を紹介しましょう。

青サギと魚たち

昔、ヒマラヤ山のふもとに美しい湖がありました。太陽の光を受けて、その水面はまるで緑の()()のようにキラキラと輝いていました。湖には危害をもたらす生き物もおらず、魚たちはいさかいをすることもなく群れをなして伸びやかに泳ぎ回っていました。

ところが、ある日一羽の青サギがこの湖を見つけて降り立ちました。

「うまそうな魚がたくさんいるわい。ひとつごちそうになるとしよう」

青サギはできるだけ静かに湖水近くの木の枝に舞い降り、魚たちの様子をうかがいました。

「どいつもこいつも不用心でのんきなやつばかりだ。まるで食べてくださいと言わんばかりじゃないか。もう少し時機を待って、(やつ)らが近づいてきた時にごっそりいただくことにしよう」

こう考えた青サギは、美しい青い()()をかたむけ、翼を閉じていかにも取り澄ました様子で水際に立っていました。

そんなことは知らない魚たちの群れは、いつものように仲良く餌を探しながらスイスイと楽しげに泳いできました。

魚たちは青サギの静かで落ち着き払った姿を見つけると、あれは修行者に違いないと考えました。そして青サギをたたえる第一の詩をとなえました。

この鳥、修行者は実にすばらしく、白睡蓮に似ている。
翼を静めて悠然と瞑想をしている。

魚たちが青サギの様子にひかれ、尊敬と憧れを寄せているのを見てとった賢い魚の王は、詩をとなえて彼らを諭しました。


おまえたちは青サギの本性を知らないでほめたたえている。
修行者はわれわれを獲るものではない。
それゆえにこの鳥は動かない。

これを聴いた魚たちは、ようやく青サギのたくらみに気づいたのでした。

一方、水際の青サギは片足で姿よく立ちながら、懸命に空腹をこらえていました。その時、青サギにあいさつでもしにくるかのように魚たちが群れをなして近づいてきました。

青サギがもう片方の足を水におろそうとした瞬間、魚の群れはいっせいに身をひるがえして尾びれで強く水面を打ち、凄まじい勢いで水しぶきを上げました。

そして、慌てふためく青サギを残してスイスイと方向を変え、いかにも気持ち良さそうに泳ぎ去っていきました。

詐欺を見破る智慧

お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、幾度となく善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。

このお話は、お釈迦さまがジェータ林に滞在している時に、ある詐欺師について語られたものです。

登場する魚の王はお釈迦さま、青サギは詐欺師の前世の姿です。

青サギは、翼が青黒色、背面が灰色の大きな鳥で、インドの説話文学では、しばしば「詐欺」や「偽善」を象徴する鳥として描かれています。

魚をねらう青サギは修行者然と取り澄まして魚を待ち受けますが、賢い魚の王に魂胆を見破られて逃げ去られました。これは、人を欺いてはならない、だましてはならない、という教えを表しています。


【コラム】木魚の起源

木魚 ⒸIYO / PIXTA(ピクスタ)

僧侶が法要などで、「ポクポク」と一定の間隔でリズムをとりながら打ち鳴らす木魚。
一見すると魚とは似ても似つかない形をしていますが、その模様をよく見てみると、魚の()が彫られていて、そこに「木魚」の名の由来がうかがえます。
魚を彫るのは、「昼夜目を閉じない魚のように、怠らず常に精進しなさい」との戒めからといわれます。
木魚の起源は、僧侶たちの起床や集合の合図のために打たれた()()(吊り下げられた四角形や六角形の木の板)にあるとされます。その後、細長く魚の形に彫り上げた()()()())が生まれますが、より良い音が出るようにと中をくり抜き丸くするなどの工夫がなされ、中国の明代には現在の木魚に近いものが作られたようです。
日本では、江戸時代、()()宗の()()()()()()(1592~1673)が伝えました。浄土宗でお念仏に用いたのは、江戸時代中期頃からとされています。