浄土宗新聞

連載 仏教と動物 第9回 馬にまつわるお話

(イラスト 木谷佳子)

(イラスト 木谷佳子)

お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教典籍(仏典)には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。この連載では『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
第9回目は、大変頭が良く人懐こい動物「馬」を取りあげます。

感覚器官の制御

仏教では、修行の喩えとして馬車がしばしば登場します。御者が修行者に、御者に操られる馬が感覚器官になぞらえられます。

御者は、うまく馬をコントロールしなければならないので、たえず神経を集中します。そして手綱を巧みにさばきながら、放っておけばどこに行くかわからない馬をコントロールし、思うがままに馬車を走らせなければなりません。

修行者という御者がしっかりと、手綱をたくみに操って、感覚器官という馬を上手にコントロールできたときには、涅槃の境地に到達するといわれています。

仏教の中で伝えられている説話のなかでも、『ジャータカ』にはお釈迦さまが駿馬としてこの世に生まれていた時のことが記されています。

駿馬

昔、バーラーナシーの王宮に1頭の馬が飼われていました。1日のうちに千里を走るといわれるほどの駿馬でした。ブラフマダッタ王はこの馬を何よりの宝として大切にし、たいそうかわいがっていました。

その頃、周囲の国々では争いが絶えず、自国を大きくしようとする諸国の王たちは、あちこちで戦争を繰り広げていました。

ある時、周辺の七つの国の王たちが共謀して軍隊でバーラーナシーの王宮を包囲して、明け渡しを迫りました。

「われわれに王国を与えよ。さもなくば戦いだ」

このような信書が王宮に送りつけられました。王は早速大臣たちを集めて相談しました。

「戦争を起こせば双方に多数の死者を出すことになる。何とか収拾できないものだろうか」

大臣の一人が進み出て言いました。

「王さま、私の家に遠い国から来た騎士が一人滞在しております。なかなかの勇者で戦争にかけては並々ならぬ経験と知識を持っております。その者を呼び出し、意見を求めたらいかがでしょうか」

王は、その騎士を呼んで来させて尋ねました。

「この国は七つの国の軍隊に包囲されてしまったが、どうすれば良いか意見を聞かせてほしい」

騎士は腰をかがめ、目礼して言いました。

「王さまが大切にしてらっしゃるあの駿馬を私にお与えくだされば、私と駿馬で7国の軍勢を打ち破ってご覧に入れます」

王さまは騎士の言葉を信じて駿馬を授けることにしました。

騎士はすぐその足で厩舎に行き、駿馬に馬具をつけました。そして自身も十分に武装して馬にまたがり、勇ましい姿で王城を後にしました。

騎士と駿馬は一体となって駆けました。まるで雷光のような速さです。たちどころに第1陣営を破り、王を生け捕りにすると、第2、第3、第4、第5の陣営を打ち破り、それぞれの王を生け捕りにしました。しかし、第6の要塞を打ち破って、6人目の王を捕まえた時、駿馬が傷を負いました。騎士は、その負傷したことを知って、駿馬を王宮の門に横たえ、武具をゆるめて、別の馬に武装し始めました。

駿馬は、脇腹を下にして横たわったまま、目を開き、騎士を見て言いました。

「その馬では到底第7の陣営を破ることはできません。あなたは敵に殺され、残った王は七つの陣営を率いて一気にこの城を攻め、この都は滅びてしまうことになります。第7の陣営を打ち破って王を捕らえることができるのは、私の他にはおりません。私を立たせて、武装してください」

騎士は駿馬を立たせて、傷に包帯し十分に武装をほどこして、その背に跨り、第7の要塞を打ち破り、7人目の王を生け捕りにしてブラフマダッタ王の軍勢に引き渡しました。

駿馬は王の面前まで来ると力尽きて倒れ、倒れたまま荒い息の中で言いました。

「王さま、どうか私の願いをお聞きください」

「なんなりと言うがよい」

「王さま、あの7人の王たちを殺さないでください。二度と戦いをしないと誓いを立てさせ釈放してやってください。そしてこの度の栄誉は、すべて騎士にお与えください。それから最後に、これからも貧しい人々に施しをなさり、正義と平等によって政治をなさいますよう……」

駿馬はそれだけ言うと、がっくりと首を落とし息絶えました。王は駿馬の首を抱きかかえ、はらはらと涙を流しました。

それ以後、王の善政によってバーラーナシーの都はますます栄えたのでした。

布施と正義と平等

お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、幾度となく善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。

このお話は、お釈迦さまがジェータ林に滞在している時に、努力を捨てた修行僧に語られたものです。

登場する駿馬はお釈迦さま、騎士と王はそれぞれ十大弟子の舎利弗尊者、阿難尊者の前世の姿です。

騎士とともに命をかけて7国の軍と戦った駿馬は、ブラフマダッタ王に7人の国王たちの命乞いまでして、布施と正義と平等を説き息絶えました。努力と利他の大切さを教えています。


【コラム】煩悩を食いつくす菩薩 馬頭観音

馬頭観音 maayannmaayann / PIXTA(ピクスタ)
馬頭観音 maayannmaayann / PIXTA(ピクスタ)

観音は正しくは「観世音」「観自在」といい、世の中の人々の求める声を受けとめ、意のままに救うという意味があります。観音菩薩は、救いを求める人の悩みや境遇などに合った姿で現れて人々を救います。
 馬頭観音は、観音菩薩が変化した姿。馬が草を食むように煩悩を食いつくす菩薩で、頭上に馬の頭を冠しています。
 古来、日本で馬は、農耕はもとより人を運ぶ乗り物ともいえたので、馬頭観音は、馬を守る存在と考えられました。さらにこの考えは発展して、死馬が仏になったものという、人における御霊信仰的な考えが強くなりました。馬頭観音に生の豆やにんじんが供えられるのは、このためです。
 山が多く、常に坂を越えなければ他の地域と交易できない日本では、馬は交通及び運輸に欠かせませんでした。死馬をまつる馬頭観音の石仏が旧道の各所で見受けられるのもこのためです。
 民間信仰には、よい言葉によい霊が宿るという「言霊思想」があり、馬頭観音を信仰すると「馬力が出る」とか、家内が「うまくゆく」とする所もあります。