【心のケア】悩めるあなたに“ブッダ流”の生き方
苦しみの原因は〝欲望〟と〝現実〟のズレにあり
苦しみが生まれる理由
生まれた人間は、いつかは老い、病気になり、そして最後には死を迎えます。この老・病・死は、地域や時代、また性別に関係なく、誰にも訪れる現象です。さとりを開いたといわれるブッダといえども、例外ではありませんでした。どうして「老・病・死」を苦と感じるのかといえば、人間は「若さ・健康・生命」に執着するからです。
ブッダは長い修行の末、人間に苦をもたらすのは、外的要因ではなく、人間自身の心の内にある「執着」という煩悩(心の汚れ)であり、これをなくせば苦はなくなると喝破しました。これがブッダの「さとり」です。若さに執着するから「老」を、健康に執着するから「病」を、そして生命に執着するから「死」を苦と感じるのです。つまり、私たちの心のあり方にこそ、苦をもたらす原因があったのです。老・病・死にかぎらず、「あらゆる苦は人間の執着に起因する」というのがブッダの考え方です。これを「苦は“欲望”と“現実”のズレから起こる」と表現すれば、わかりやすいでしょう。
「いつまでも若さを保ちたい(若さに対する執着)」という“欲望”と、「生まれた者は必ず老いる」という“現実”がズレるから、人間は苦しみます。病と死も同様ですし、その他の苦もこのズレから生じます。「人から評価されたかったが(欲望)、評価されなかった(現実)」、「お腹がすいて何か食べたかったが(欲望)、食べられなかった(現実)」など枚挙にいとまがありません。
苦しみをなくす方法
では苦をなくすにはどうすればいいか。答えは単純、ズレをなくせばいいのです。ズレのなくし方は二つ。一つは欲望を満足させるために現実を変えること、もう一つは欲望をなくして現実を受け入れることです。老・病・死については、現実を変えられないので、欲望をなくして現実を受け入れるしかありません。また両方が可能な場合でも、仏教は基本スタンスとして「欲望(執着)をなくして現実を受け入れる」ことで苦の解消を図ります。
ブッダは出家して修行し、執着という煩悩を滅して苦からの解脱を達成しました。苦を解消する“理屈”はこのように極めて単純ですが、普通の生活を営みながら、苦からの解脱を実現するのは容易ではありません。 では私たちは、どのように苦と向き合うべきでしょうか。完全に苦を解消できなくても、“軽減”することはできます。ここからはブッダの教えをもとに、私自身の考えを交えてお伝えしましょう。
「なんで?」「どうして?」 苦しみの原因を知って向き合う
病気になったとき、原因が分からない間は何とも不安な気持ちになりますが、病院に行って診察を受け、病名がはっきりすれば、身体的な苦痛は変わらなくても、精神的には楽になったという経験はないでしょうか。同じように、苦は簡単には克服できませんが、軽減するためには先ほど説明した苦のメカニズム「苦は“欲望”と“現実”のズレから起こる」を思い起こし、自分が今感じている苦を客観的に分析してみるのです。「自分の欲望はどんなものか、どのように現実とズレているのか」と。
これを脳科学では「メタ認知」と言います。つまり、苦しむ自分を「メタ(より高次の視点)」から客観的に 眺め(認知し)てみるのです。すると、「客観的に眺めている自分」は「苦しんでいる自分」からは抜け出ています。これにより、苦自体はなくならなくても、冷静に自分の苦を見つめ直すことができ、それにより苦は軽減します。苦に両足を突っ込むと逃げ場がなくなりますが、メタ認知を行うことで片足は苦から抜け出せます。一度、お試しあれ。
ではこの基本姿勢をベースにしながら、今回のコロナ禍にどう対応すべきか、ブッダの教えに基づいて具体的に考えてみましょう。
情報に惑わされないで考える
東日本大震災のときもそうでしたが、未曾有のことが起こったとき、「デマ」という不確かな情報が流れると、不安から人はそれを信じてしまう傾向にあります。今回のコロナ禍に関しても人はデマに右往左往し、社会に混乱を生み出す結果となりました。そういうときこそ、真偽を見極める冷静さと判断力が必要になります。ブッダは「他に隷属することは、すべて苦なり。あらゆる主権こそ楽なり」(『自説経』)と述べています。日本人は自己主張が苦手で、安易に他者と同調してしまいがちですが、真偽を確かめもせずに不確かな情報を鵜呑みにすることは避けなければなりません。“自分こそが自分の主”であることを自覚し、自分で考え判断して、情報の真偽を確かめてください。
人を批判しない
人間は何か災いが起こると、犯人捜しをしたがります。何につけ「意味」を求める人間の性かもしれません。理由のないことは受け入れがたいので、結果をもたらした原因を探ろうとするのです。ウイルスに感染した人を災いの原因と見なして非難したり、またウイルスの現場に近いところで働いている医療従事者(およびその家族)を差別するような言動が起きているのは、まさにそうした「性」によるものですが、じつに残念で悲しいことです。
「他人の過失を探し求めて、つねに腹を立てている人は煩悩の汚れが増大する」(『法句経』)とブッダは説いています。まさに金言です。もとより過失ですらないのですが、人を非難すれば、一時的に怒りは静まるものの、それは長い目で見れば、自分の煩悩を増大させるだけで、かえって人はその煩悩ゆえに、将来、苦しむことになります。人を非難するよりも、自分の行動のみをしっかりと見据えることが重要です。
自分のすべきことに専念する
辛いことではありますが、感染拡大防止のためには「自粛の生活」が必要です。ともすれば人間は短絡的になり、目先の“小楽”のために将来の“大楽”を大なしにしがちですが、ここは辛抱のしどころ。「今は辛くても、善なる行為(自粛生活)が因となり、必ず将来、楽なる結果がもたらされる」という仏教の因果論(善因楽果)を信じ、終息までは長い道のりになりそうですが、ブッダの言葉「自分のなすべきことを知って、〔それに〕常に専念すべきである」(『法句経』)を肝に銘じて、今回の難局をともに乗り越えていきましょう。
京都文教大学・短期大学学長
平岡 聡 ひらおか さとし
昭和35年京都市生まれ。京都文教大学・短期大学学長、京都文教学園学園長。博士(文学)。専門は仏教学。著書に『浄土思想入門』(角川選書)、『ブッダと法然』(新潮新書)、『大乗経典の誕生』(筑摩選書)ほか多数。兵庫県朝来市・法樹寺出身。
“ブッダ流”の生き方 を詳しく知りたい方は――
平岡先生著書 『悩みによく効く お釈迦さまの処方箋』をおススメします。
(発行:浄土宗出版 新書版160頁 700円+税)
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