浄土宗新聞

【浄土宗の読む法話】阿弥陀仏との出会いは有り難し

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「 足元は 轍に頼る 雪の道 」

寒さ厳しくなりました。雪が降り積もると移動に難儀致します。しかし、人が頻繁に歩くところは降り積もる雪を足で溶かして轍になります。沢山の歩く人あればこそ。そして、朝早くに雪を除けて歩く道を作って下さった方のお陰です。思えば私たちの当たり前に歩む道も、沢山の人との繋がりと人知れずご苦労して下さった方のお陰なのかも知れません。

少し前に十年前の水子さんの供養の依頼を受けて、阿弥陀様の前で共にお念仏を称えさせていただいた時の事。最後にお母さんからお話をいただきました。
「私は10年間ずっと涙の生活でした。取り戻すことの出来ない過去をずっと思い続け、赤ちゃんの場所も判らなく、食べさせたい御菓子を供える場所もなく、頼るものも判らなかった。判らないだらけで下を向いて涙を流すだけの10年でした。でも今日ここに来て、手を合わせ頼る仏様が判って赤ちゃんの行く先も判りました。現実は何も変わらないし涙はいつまでも止まらないけれど、下を向かずに涙を流せそうです。悲しみのどん底の中でちょっとだけ喜びを貰いました。有難う御座います。赤ちゃんにお菓子をお供えてお念仏を称えにまた来ます。」涙を流しニッコリと微笑んで帰ってゆかれました。
このお母さんに出会って、阿弥陀様が当たり前にいるものと思っていたけれど本当は有り難い事だと気づかされました。

私達が生まれ変わり死に変わりを繰り返したくさんの別れ、たくさんの悲しみの姿を見て何とか助けたいと願い、とてつもない時間を掛けて仏となって下さった阿弥陀様のご苦労と慈悲の心がなければ、一体、この私はどうなっていたでしょう。法然上人が苦しみの世界から離れる為に救いの道を捜し求め、お念仏を多くの人に広めてくださらなかったら、私も家族を失い、自分の命が終わる時にただただ涙を流すだけだったでしょう。
出会う事の難しいお念仏の教えが用意されている事の有り難さ。

「 往生は 念仏に頼る 祖師の道 」

年の暮れに合わせて、どうかお寺参り、お墓参りをお勤めください。たくさんのご先祖様が称えてくださったお念仏によって、私達はお念仏と出会わせていただきました。
同じ道を歩み、同じ仏にすがり、同じ浄土へ参りましょう。 南無阿弥陀仏

静岡教区 西駿組 養命寺 安井隆秀