浄土宗新聞

【浄土宗の読む法話】浄土宗開宗の喜び

投稿日時

鶯の 谷よりいづる 声なくは 春くることを 誰か知らまし

この和歌は、平安時代の歌人・大江千里が、「鶯よ、早く山から出て来て皆に春を知らせておくれ」という思いを詠んだものです。
鶯が「ホーホケキョ」と鳴くと春の訪れを感じるので、鶯のことを「春告鳥(はるつげどり)」とも呼びます。カレンダーなどなかった昔の人は、きっと鶯の囀ずる声を聞いて春の到来を喜んでいたのでしょう。

実は、今から842年前の春にも大きな喜びがありました。承安5年(1175)年のことです。法然上人が長い間修行をされた比叡山に別れを告げ、吉水の地で浄土宗をお開きになられたのです。
それがなぜ、この上ない喜びかといいますと、これまで説かれていた仏教は、自らの力で智慧の眼を開いて覚るための教えでありました。しかし、残念ながらわたしたちのような智慧に暗い凡夫は、永遠に救われないと説かれてきました。
そこで法然上人は、そんな救われようのない凡夫に光を当てられ、万民が救われる阿弥陀さまの本願念仏を示すために浄土宗をお開きになられたのです。もし、そのお示しがなければ、わたしたちは未だお念仏に出逢うこなく、永遠に彷徨うことになっていたかもしれません。

ところで、「白衣の天使」と讃えられたナイチンゲールのことは、皆さんもよくご存じだと思います。クリミアの戦地に赴き、傷痍軍人が収容されている兵舎病院で献身的な看護につとめたことで有名です。そこで彼女は、傷ついた兵士のために毎晩ランプを提げて、欠かさず夜回りをしていました。すると、真っ暗な部屋に収容されていた兵士たちは皆、そのランプの灯りを見て、「生きて国へ帰るぞ」と勇気が湧き、精神的な安らぎを得たといいます。毎日、薬や包帯よりも灯りを求めた兵士たちは、ナイチンゲールを「ランプの貴婦人」と呼ぶようになったそうです。この体験から、「負傷で不安を抱いている兵士にとって、ランプの灯りが一番の治療になった」と、後にナイチンゲールは語っています。
これをわたしたち自身に置き換えてみると、どうでしょう。わたしたちは智慧が負傷した凡夫であります。それが原因で、道理に暗く、迷ってきたわが身ではないでしょうか。

法然上人でさえ、自ら智慧を極めていけるだろうか、とわが身を見つめられ、「愚痴の法然房」とまで仰せになられています。
わたしたちのためにお念仏の灯りを示され、浄土宗を開宗してくださった法然上人。そのおかけで、今日こうやって「南無阿弥陀仏」の日暮らしを過ごせることは、無上の喜びであります。

合掌

福岡教区 小倉組 生往寺 安永宏史