浄土宗新聞

【浄土宗の読む法話】阿弥陀さまのお約束

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荒れに荒れた今年の冬でしたが、ようやく春のお彼岸を迎える季節となりました。「暑さ寒さも彼岸まで」順序を違えず季節は巡ってきます。自然はウソはつきません。ウソをついて混乱させるのは人間ばかりでありましょうか。

悩み多い迷いの現実世界こちらの岸から、悟りの世界であるあちらの岸、極楽浄土に到るというのが彼岸の意味であります。今どんなに若く健康であっても、いずれ例外なくこちらを離れなければならない私たちです。ただし、頂戴した命でありますからこの命使い切っての旅立ちです。そして大切な方々が待っていらっしゃる極楽のお浄土へ参ります。日々のお念仏を携えて参ります。

『無量寿経』というお経さまの中に、阿弥陀さまの四十八のご誓願がございます。その第十八番目が「あらゆる世界の善人も悪人もいかなる者でも、嘘偽りなく心の奥底から私の浄土に生まれたいと望んで南無阿弥陀仏の名号を称えれば、たとえそれがわずか十遍であったとしても必ず往生を叶えよう。」という「念仏往生の願」であります。
それが、今日までお念仏がお称え続けられてきた理由であります。

法然さまは、お念仏をお称えする時の心の持ちようをお弟子さんから尋ねられ、そのご返事の中で次のお示しをなさっておられます。

「大方(おおかた)その国に生まれんと欲(おも)わん者は、その仏の誓いに随(したが)うべきなり。されば弥陀の浄土に生まれんと欲(おも)わん者は、弥陀の誓願に随(したが)うべきなり。」(『勅伝』25巻)

【訳】
だいたいその仏さまの浄土に生まれたいと願う者は、その仏さまのお約束に従うべきです。ですから、阿弥陀さまの極楽浄土に生まれたいと願う者は、阿弥陀さまのお約束に従うべきなのです。
ただただ心をひとつにして、専ら阿弥陀さまのみ名をお称えする。私たちにとってお念仏が、あちらの岸に渡る唯一の方法なのであります。阿弥陀さまのお約束だからであります。
いずれ訪れるであろう旅立ちの時に慌てることがないように、日々お念仏の備え怠りなく勤めましょう。
合掌十念

山形教区 山形組 専念寺 佐藤康正