浄土宗新聞

【お坊さんエッセイ】わたしという物語

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【お坊さんエッセイ】わたしという物語

地元の野菜や加工品が集まる販売所、いわゆる「産直」が好きです。家の近くはもちろん、遠出しても産直市場があると必ず寄ってお買い物をしてしまいます。その土地の旬の野菜や果物を見るだけでも楽しいですし、いろいろ買って家でどんなレシピで食べようかなと考えるのも大好きです。

私にとって産直のもうひとつの楽しみは、生産者のお名前と写真などが載ったポスターです。お名前や表情やエピソードから人柄を想像すると、同じ野菜でもそれぞれに個性が感じられます気がします。手に持った野菜から物語が感じられるのです。


ティク・ナット・ハンというベトナム出身の禅僧は「この一枚の紙のなかに雲が浮かんでいる」といいます。紙のなかに雲がある? 紙と雲は直接的には関係がないように見えます。はじめはどういう意味か理解できず、不思議に思いました。少し理解を深めると、この言葉は「すべてのものは互いに関係しあいながら存在する」という仏教の縁起の教えについて語ったものでした。

いま、皆さんの近くに紙があればぜひ手にとって見てみてください。その一枚の白い紙は、雲の存在なしには存在しないのです。なぜなら、雲なしには水がなく、水なしには樹木は育たず、樹木なしには紙はできないからです。もちろん、木が育つには水だけでなく太陽の光や養分も必要です。紙として作り上げられるまでには多くの人の仕事も必要でしょう。このたった一枚の紙のなかにたくさんの物語があるのです。そして、今この紙を手にしているあなた自身もこの紙の物語の中にあるといえるでしょう。この物語は目には見えませんが、事実として存在しています。「雲がなければ紙ができない」という、その関係性を一枚の紙の中に見るだけの想像力を備えて物事を見ると、ものの見方が変わります。それを知ると、いつも使っている紙一枚がとても尊くありがたいものに感じられませんか。

紙一枚でもそうなのですから、この世界に私と関係のないものは何ひとつないのですね。
そして何よりあなた自身にも多くの関係性の物語が秘められています。すべてがあなたとつながりあい存在しているのです。そして、あなた自身もこの世界の誰かの物語を作る大切なひとりです。

人と人との距離感がむずかしい今だからこそ、お互いに関係しあい存在している事実に目をむけ、物語を感じとる想像力が必要だと思います。私がここに存在することは、すべてのものとともに存在していること。こんなときだからこそ、「わたし」という物語に目をむけてみませんか。一枚の紙の中に雲を見るように。

(2020年8月10日 吉田武士 / 長崎・長安寺)