浄土宗新聞

日々のおつとめ―浄土宗日常勤行式 第6回 「開経偈」

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出遇いに感謝し経典を開く 「開経偈」

無上甚深微妙法 (むじょうじんじんみみょうほう)
百千万劫難遭遇 (ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
我今見聞得受持 (がこんけんもんとくじゅじ)
願解如来真実義 (がんげにょらいしんじつぎ)

意訳
この上なく奥深い仏さまの教えは、途方もないほどの時間を経てもなお出遇うことが難しいといわれます。それなのに私は今、幸いにもその教えを見聞し、いただく機会を得ました。願わくは仏さまの真の教えが理解できますように。


【資料】毎日のおつとめ


諸々の仏さまをお招きして、これまでの罪を告白し、阿弥陀さまに全てをおまかせする準備が整いました。
これまでを「序分」といい、これ以降はおつとめの〝本論〞にあたる「正宗分」となります。そして経典をお読みする前にとなえるのがこの「開経偈」です。
意訳のように、なかなか出遇うことができない仏さまの教えに出遇えた感動を述べ、その教えが自らの身に染み込みますように、と願いつつおとなえします。

ところで、なぜこの偈文では〝出遇うことが難しい〞といったり、そもそも阿弥陀さまは易しい教えを説かれたはずなのに〝理解できますように〞と願っているのでしょうか。
人間として生まれること、そしてその上で、仏教の教えに出遇うことの難しさを、法然上人は「天から糸を垂らし、たまたま海底に落ちる」 ( 『十二箇条の問答』 )程のことと譬えています。
仏教では、私たちは、人間、修羅畜生餓鬼地獄という六つの世界(六道)を常に流転していると説きます。そしてそんな私たちに、このサイクルから離れ、苦しみのない清浄な世界に生まれることを目指しなさいと、繰り返し勧めています。浄土宗でいえば阿弥陀さまの極楽浄土へ往生することが目標となり、そのパスポートともいえる教えがお念仏となります。
阿弥陀さまのお念仏の教えは、お釈迦さまから連綿と伝わり、2500年の時を経ていまに伝わっています。教えは変わることなく私たちを照らし続けてくれますが、これに出遇うことは実に大変なことです。
まず自分自身が人として今この時に存在していることさえ奇跡ともいえます。その中で出遇うチャンスはまた多くの縁の積み重ねがなければ生まれません。例えばこのページを開き、この記事を読まなければ出遇わなかったように、本当に小さなご縁の繰り返しなのです。いくつものわずかな可能性がつながりあってこそ、今の自分がここにいて、仏さまの教えに出遇えたのです。だからこそ悦ばしく、そのことをよくかみしめれば、一言漏らさず、理解ができますように、という思いが自然に起こってくるのではないでしょうか。

偈文に「百千万劫にも遭い遇うこと難し」とありますが、この「」は計り知れないほど長い時間の単位を表します。よく〝千載一遇のチャンス〞といいますが、仏教、お念仏の教えに出遇えたことは千年どころではない〝百千万劫一隅のチャンス〞なのです。しかも出遇えるのは人間として生まれ、様々なご縁が重なってからこそ。
このチャンスどう活かすか。その答えはご自身で見つけてください。

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