日々のおつとめ―浄土宗日常勤行式 第8回 「四誓偈」➁
阿弥陀さまの誓い「四誓偈」➁
前回は「四誓偈」に説かれる四つの誓願のうち、はじめの三つについて触れました。それは、①自ら立てた四十八願を成就すること、②人々をもれなく救うこと、③阿弥陀如来の名前をあらゆる世界に届かせること、を必ず実現する、との法蔵菩薩(阿弥陀如来の前身)の決意表明でしたね。今回は四つ目の誓いです。
離欲深正念 (りよくじんしょうねん)
浄慧修梵行 (じょうえしゅぼんぎょう)
志求無上道 (しぐむじょうどう)
為諸天人師 (いしょてんにんし)
意訳
私(法蔵菩薩)は欲を離れ、深く正しく思念し、清らかな智慧をもって修行に励み、この上ないさとりの道を求めて多くの人や天人を導く者となります。
神力演大光 (じんりきえんだいこう)
普照無際土 (ふしょうむさいど)
消除三垢冥 (しょうじょさんくみょう)
広済衆厄難 (こうさいしゅやくなん)
意訳
(世自在王如来は)勝れた不思議な力をもって大いなる光を放ち、果てしない世界をあまねく照らし、欲望、いかり、愚かさ(三垢冥)の闇を消し、広く人々の災いを取り除いておられます。
開彼智慧眼 (かいひちえげん)
滅此昏盲闇 (めっしこんもうあん)
閉塞諸悪道 (へいそくしょあくどう)
通達善趣門 (つうだつぜんじゅもん)
功祚成満足 (くそじょうまんぞく)
威曜朗十方 (いようろうじっぽう)
日月戢重暉 (にちがっしゅうじゅうき)
天光隠不現 (てんこうおんぷげん)
意訳
また、智慧の眼を開き、人々の煩悩の闇を滅し、地獄・餓鬼・畜生の三悪道を閉ざしてさとりへ続く道に導き、仏としての功徳を完全にそなえ、 その威光は、 あらゆる世界に輝いており、太陽と月の光を押さえ込んでしまうほどです。天の光もまた隠れてしまうでしょう。
為衆開法蔵 (いしゅうかいほうぞう)
広施功徳宝 (こうせくどくほう)
常於大衆中 (じょうおだいしゅうじゅう)
説法師子吼 (せっぽうししく)
意訳
人々のために仏の教えの蔵を開き、功徳ある教えを広く一切の衆生に施し、常に人々の中でその教えを獅子が吼えるように高らかに教えを説いておられます。
供養一切仏 (くよういっさいぶつ)
具足衆徳本 (ぐそくしゅとくほん)
願慧悉成満 (がんねしつじょうまん)
得為三界雄 (とくいさんがいおう)
意訳
そして(世自在王如来は)すべての仏を供養しあらゆる徳をそなえ、誓願と智慧をすべて成就し、全世界の雄者となられたのです。
如仏無礙智 (にょぶつむげち)
通達靡不照 (つうだつみふしょう)
願我功慧力 (がんがくえりき)
等此最勝尊 (とうしさいしょうそん)
意訳
世自在王如来の自在な智慧は、あまねく行きわたり、照らさないところはありません。願わくは私の功徳と智慧の力も、この最も勝れた仏と等しいものでありたいと心から願うものです。
斯願若剋果 (しがんにゃっこっか)
大千応感動 (だいせんおうかんどう)
虚空諸天人 (こくうしょてんにん)
当雨珍妙華 (とううちんみょうけ)
意訳
もしこの願いが成就されたならば、全世界は感動し、天に舞う天人たちも美しい花をふらせて、願の成就を証明することでしょう。
最も勝れた仏となる
前号では 「誓不成正覚 (私が立てた願いが成就できなければ、決して仏になりません) 」という文が3回出てきたので、三つの誓願の内容をつかみやすかったのですが、今回はその文字が見当たりません。
実は四つ目の誓いの内容は、上欄の経文の最後のほう、 「願我功慧力 等此最勝尊(願わくは我が功慧の力 この最勝尊に等しからん) 」に集約されています。
最勝尊と同じようになりたい―。
「最勝尊」とは、48の願いを述べる法蔵菩薩を、その眼前で見守っていた世自在王如来のこと。つまり法蔵菩薩は、 「私もあなた様(世自在王如来)のようになりたいのです!いえ、必ずなってみせます!」と、その思いを宣言する、それが四つ目の誓いなのです。
無限の光、永遠の光
世自在王如来のように…。すなわち、完璧なまでの功徳を具えた如来(仏)となりたい、ということです。それを具体的に示したのが、冒頭の「離欲深正念」以下の経文です。ここで法蔵菩薩は、世自在王如来のお徳の素晴らしさを、まさに筆舌を尽くして讃えています。
その中で最も強調されているのは、世自在王如来が放つ「光」です。それは、私たちが日ごろ接している物理的な光というより、闇にさまよう私たちの心を照らし出す 〝さとりの光〞 〝慈悲の光〞です。
光は、やさしさやぬくもり、希望といったものを連想させますね。まさに仏の光も、悩み、苦しむ衆生にやさしく寄り添い、ぬくもりと希望を与えるものとして説かれています。世自在王如来の輝き放つ光を見、法蔵菩薩はそれが空間的に無限、時間的に永遠であることを理想にかかげたということができるでしょう。
阿弥陀如来となって…
こうして世自在王如来のような慈悲の光を放つ仏となることを心から願った法蔵菩薩。「四誓偈」の最後、「斯願若剋果」以下は、上段の意訳に、その願いが成就されれば、天人が美しい花を降らせてそれを証明するでしょう、と結んでいますが、果たしてその誓いは成就されたのでしょうか。
そのことを明らかにする教えは『無量寿経』の巻下(「四誓偈」は巻上)の冒頭に説かれています。
それはお釈迦さまが弟子である阿難に「阿弥陀如来の極楽浄土に往生を願い念仏をとなえる者は、即座に往生を得て、そこから外れることはない」と告げておられるのですが、このことは、四十八願の中で最も大切な第十八番目の「念仏往生の願」をはじめ、四十八願すべてが成し遂げられ、法蔵菩薩は世自在王如来と同じように、慈しみの光をそなえた〝阿弥陀如来〞となられていることの証しといえるのです。
現在もあらゆる世界に平等に光を放ち、お念仏をとなえる私たちを極楽浄土へと導いてくださる阿弥陀さま、そのことを表すように、阿弥陀如来ははかり知れない寿命と光明を持つ仏として「無量寿仏」「無量光仏」とも呼ばれます。
さて、法蔵菩薩の48の誓いは成し遂げられ、 〝お念仏をとなえれば、誰もが必ず西方極楽浄土に往生できる〞ということが証明されました。この阿弥陀さまの強い意志を心に刻み、ご自宅の仏檀にいらっしゃる阿弥陀さまに読誦とお念仏を捧げましょう。
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