日々のおつとめ―浄土宗日常勤行式 第9回 「本誓偈」
善行をふり向ける「本誓偈」
弥陀本誓願 (みだほんぜいがん)
極楽之要門 (ごくらくしようもん)
定散等回向 (じょうさんとうえこう)
速証無生身 (そくしょうむしょうしん)
十念
意訳
阿弥陀さまの本願は、人々が阿弥陀さまに救われて極楽に往生するための肝要な門です。
すべての善根功徳をふりむけて、速やかに生と死を超えた身となりましょう。
十念(十遍のお念仏をとなえます)
前回で「四誓偈」を読み終えました。続いて、様々な経典やその注釈書などから、おつとめの主旨にあわせた回向文を読みます。ここでは、日常勤行式で読まれる代表的な偈文「本誓偈」を説明しましょう。
意訳の一節目には、 「四誓偈」にも説かれていたように、 阿弥陀さまの本願(第十八願=念仏往生願)は、極楽に往生するためには肝心かなめの入り口であることが述べてられています。
それはとりもなおさず、お念仏をおとなえすることが、私たちが阿弥陀仏の世界へ往生するための最も確実な方法だということができます。
そして、 次に、 偈文に 「定散」 、意訳に「善根功徳」という少々難しい言葉が出てきます。
定と散
正式には、「定散」の「定」は定善、 「散」は「散善」といい、定善は、心にわずかの曇りもなく、仏さまの姿や極楽の様相を念ずること、散善は、心が散漫になって集中できない者(凡夫)でも修められる、道徳的な善行をいいます。また、「善根功徳」の「善根」は善をうむ根本、 「功徳」も、良い結果をもたらす善行のことで、つまりこの部分は、生活全般の細かなことまで含めた全ての善い行いをふり向けて、と理解できるでしょう。そこにはもちろん、お仏壇の仏さま、ご先祖さまへの毎日のお給仕、勤行やお念仏をとなえることなどが含まれます。
生死を超えて
最後に、 「生死を超える身」とは、もちろん、不老不死や超能力などではなく、お念仏によって全てを阿弥陀仏におまかせすることで、生死に対する煩わしい思いが消え、命終後は極楽への往生が決まる身となる、ということです。「本誓偈」 は、これまでに読んだ偈文や経典で深まった阿弥陀仏への信心をあらためて確認し、お念仏や善行により、生死を超えた身となりましょう、と説かれています。そして、「四誓偈」を読誦した思い、仏さま、ご先祖をご供養した行い、それらの全てをお念仏にのせるつもりで、今一度、十念をとなえます。
今回紹介した「本誓偈」は、阿弥陀仏への信心を新たにし、自身の往生を願う偈文ですが、両親、家族など特定のご先祖さまへの回向の際には「聞名得益偈」 、すべての先亡の精霊を回向する際には「一切精霊偈」など、おつとめの主旨に合わせて回向文を選べばよいでしょう。回向文の詳細、読み方などは菩提寺のご住職にお伺いください。
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